have to doのない人生

身近な人には話していますが、一年くらい前から週一回の英会話にかよっています。


レッスンはグループレッスンで、いつも同じメンバー5人で受けています。

レッスンの内容はというと、最初にみんなが近況報告をしてその後に宿題として出されていたテキストの問題を解くという流れです。テキストについてはそれを必死に解くというのではなく、ところどころでフリートークをしていく感じでしてとても楽しいです。先生はアメリカ人の女性なのですが、すごく話しやすくて人見知りスキルがやたら高いわたしでも気軽に英語で話しかけられる雰囲気の先生です。

そんなこんなで週一で英語を話す生活を一年間続けてきたのですが、残念ながら英語はあいかわらず上達していません。やる気や意欲の問題だと思うのですが、リスニングもスピーキングも上達していません。むしろ映画を観る頻度が減ったためか、リスニングスキルが劣化しているような気もしますが正直比べようもないのでよくわかりません。


さて。

先週もいつもどおりレッスンがあったので参加したのですが、その中でhave toを使った文章を作ろうという問題を解くことになりました。ただ、問題を解くといっても"have to"を使って「自分がやらなければならないこと」を英訳してその理由や詳細について発表するだけなので大したことじゃないのですぐに答えられるつもりでした。

ところが英訳するために自分のやらなければならないことをリストアップしようとしたところで私はあることに気づいて固まってしまい、その課題を解くことができませんでした。


わたしには自分がやらなければならないことが何もなかったんです。


映画を観たり、走ったり、家族で出かけたりプログラムを作ったりゲームしたりと「やりたいこと」はたくさんあります。
泳ぐことや空手、トライアスロンウルトラマラソンなど「やってみたいこと」もたくさんあります。

でもやらなければならないことがなにもないんです。

唯一やらなければならないこととして挙げられるのは仕事に行くことなんですが、でも人生の中にやらなきゃいけないことがそれだけっていうのは正直おどろきました。これが果たして普通なのかどうか分かりませんし、そもそもやらなければならないことがないことになぜ自分がこれほど動揺しているのか分からなかったのですが、とにかくわたしにはしなければならないことが仕事以外何もなくて、そしてそのことを嬉しいとは感じていないことだけはよく分かりました。

もっと積極的に言えば、やらなければならないことが何もないということがすごく恥ずかしいと思いました。


この日以降、しばらくはそのことばかり考えて過ごしました。

矛盾するようですが、そもそもわたしは「何かをしなければならない状況」というのは好きではありません。好きじゃない理由は簡単で「なにかしなければならないこと」に対してはわたしは存在そのものにストレスを感じることが多いからです。

だから積極的になにかをしなければいけない状況に陥らないようにしてきましたし、そういった意味ではいまわたしが置かれているこの状況はすごく望むべきものであるはずです。だって何も義務がない状態というのはとても身軽で心地よいと思っていたし、実感としてもそのとおりだと思います。


でも実際にその状況を実現したら、今度はそのことをすごく恥ずかしいことだと思っている。


さすがにこれは矛盾しているなと自分でも思います。

でも改めてなぜ恥ずかしいと思うのかと考えてみると「やらなければならないのは属している共同体の中で自分は何の役割も担っていない」、つまり何の役にも立っていないし必要ともされていないと思っているからだということに気づきました。やらなければならないことがないことは、イコール、家族や会社、地域の中でいてもいなくてもいい存在でしかない証左だということなんです。要は社会の歯車にすらなっていないんです。


いや別にそれでもいいじゃん、って思う気持ちはあります。
でもいい年して何の役にも立っておらず、自分のやりたいことばかりしていてそれでいいのかというとそうじゃないと強く思います。


なんの本で読んだのか忘れましたが、幸せには3つの段階があるそうです。

最初の段階は「してもらう幸せ」です。
これは他者から何かを与えてもらい、してもらうことで幸せを感じるという段階です。たとえば、子どもは欲しいモノがあっても経済的に自立していないのでそれらを手に入れることはできません。だから欲しいモノを手にするためには親や大人からお金やモノ自体を与えてもらってそれを手に入れるのですが、このように自分以外の他者に依存してやりたいことを実現している状況がこれに該当します。


次の段階は「できる幸せ」です。
これは自分自身で自分のやりたいことを実現できるという段階です。これは、たとえば働いて自分の欲しいモノは自分で買えるような状況が該当します。


そして最後の段階は「してあげる幸せ」です。
これは他者が自力でやりたいことを実現できるように成長する手助けをするという段階です。「与える幸せ」ということもあるようです。


人は精神的、社会的に成長していく中で自らの幸せをシフトしていくべきだと思います。
具体的には「してもらう幸せ」から「できる幸せ」、そして「してあげる幸せ」へと変化していくのが正しい成長だと思うし、私くらいの年齢であれば、この最後の段階にたどり着いていてもいいんじゃないかと思うのです。

ところがふたを開けてみれば、まだまだ自分のやりたいことばかりを追いかける「できる幸せ」に終始している。

そのことに気づいて落ち込んだというのが、今回の自身の心境を分析した結果です。


まだまだ自分のことしか考えられないのが恥ずかしいのですが、これから少しずつでもいいのでもう少し周りの人の役に立とうと思えるようにならなきゃなと思います。