「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」見たよ


1960年代アメリカ南部。黒人のメイドが当たり前の社会で、作家希望のスキーター(エマ・ストーン)は育った。成長するにつれ、メイドの置かれた立場に疑問を持つようになったスキーターは彼女たちにインタビューを試みるが、メイドたちは固く口を閉ざす。唯一、インタビューに応えてくれた親友の家のメイドから語られる真実が、社会を揺るがす大事件へと発展する。

『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。

黒人差別が当たり前のように横行していた時代・地域で、黒人の置かれている現状を広く知らしめるために勇気をだして立ち上がった人たちを描いた作品ですがとてもおもしろかったです。非常に重いテーマを掲げながらも、ところどころに散りばめられたユーモアあるエピソードが物語から重苦しさを取り除いてくれました。


このようなひどい差別がわずか50年60年ばかり前には当たり前のように行われていたという事実を、過度に煽ることなくそれでいてしっかりと伝わるように描いていたために、描かれている内容の重さにつぶされることなくしっかりと受け止めて自分なりに消化することができました。


この作品を観ながらふと思い出したのは、伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」という作品のある言葉でした。

深刻なことほど陽気に話す、つまりは自らにかかっている重力を感じさせないように演技を見せるピエロのように立ち振る舞うことの難しさと優しさと大切さ。話す内容が深刻であればあるほどそのように振舞うことが大事なのだろうし、そのくらいに思いやれる間柄こそが家族であることのひとつの条件なのかも知れないなと感じました。

「重力ピエロ」見たよ - 子持ちししゃもといっしょ


普段、大事なことを誰かに伝えるようとするときは伝える事態の重さに比例して深刻な態度で接してしまいます。それは、そのことを伝えることで相手との関係に大きく影響を与えてしまったり、伝えた内容の重さに相手が疲弊してしまうことが怖いのでつい慎重になってしまうからです。

わたしも他人になにか重要なことを伝えようというときには、相手が受けるショックや衝撃の大きさを想像して伝える前からブルーになってしまうのですが、いま思えばそういうわたしの態度は「事実を聞く前からいろいろと想像して悩む」という形で相手の負担になってしまっているのです。


だからどういう形であれ、いずれ相手に伝えなければならないことを伝えるのであれば、できるだけ日常している会話と同じように伝えた方が、聞く前から変な想像をしなくてもいいし、聞いた事実をその等身大の大きさでスッと受け止められるような気がします。

少なくともすごく深刻な表情で相手に辛い事実を伝えるよりも、「だいじょうぶ、大したことじゃないよ!」という顔をしながら伝えた方が相手にとってはいいことなんじゃないかなと「重力ピエロ」を読んで納得したことをこの作品を観ながら思い出しました。


もちろん伝える方は「辛いことを明るく振る舞いつつ伝える」という努力が必要ですしそれってなかなか出来ないことですが、本当に伝えたいことがあるならば、それが伝えるために必要なスキルとして努力する価値はあるんじゃないかと思っています。


これだけ重いテーマを真正面から扱いつつも、ここまで観る人に負担をかけずに伝えてみせてくれただけでも傑作と呼んで差支えないすばらしい作品だったと断言します。


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くせ毛のエマ・ストーンがたいへんキュートでしたよ!


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