「シザーハンズ」見たよ

とある孤独な発明家の手によって生み出された人造人間のエドワード。しかし発明家はエドワードを完成させることなくこの世を去ってしまった。両手がハサミのまま、一人残されたエドワード。ある日、エドワードの住む城に化粧品を売りに来たペグは、彼を家に連れて帰ることに。エドワードは植木を綺麗に整えたり、ペットの毛を刈ったりして人気者になってゆく。そして、エドワードはペグの娘キムに恋をする。しかし人間社会の辛く悲しい現実が彼を待ち受けていた…。

シザーハンズ - Wikipedia

TOHOシネマズ宇都宮にて。午前十時の映画祭にて鑑賞(12本目)


手がハサミになっている顔色の悪いジョニー・デップが出てくる作品。
そんな程度の予備知識(これを予備知識と呼んでいいのかどうかさえ危ういですが)で本作を観に行ったわけですが、これがもうものすごくおもしろかったです。この作品を観る一ヶ月くらい前に、同じく午前十時の映画祭で「キャリー」を観た時にもかなりの衝撃を受けたわけですがそれに匹敵するくらい強烈に惹きつけられてしまいました。
「なにかを嫌いになるときは理由があるけど、なにかを好きになるのに理由は無い」というのがわたしの持論ですので、普段であれば好きな映画についてあまりあれこれその理由を考えたりはしないのですが*1、この作品についてはその理由をはっきりさせて自分なりに納得したかったので考えてみました。


まず、この作品の中で非常に驚かされて、さらに興味をもったのは明らかに異質なエドワードの存在をあっさりと受け入れたペグやその家族、そして世間の人々の態度でした。
例えば、町のはずれにあるお城の中で偶然エドワードを見つけたペグは、その容姿におどろくものの、怖がるより先に自らの家に招いて仲良くなろうとするのですが、でもどうみてもエドワードはnormalじゃないしむしろabnormalですよね?



だってこれ↑ですよ? わたしだったら目をそらして適当にやり過ごすレベルです。


さらに彼の手は切れ味鋭いハサミなので不意にあちこち傷つけてしまったりして危なっかしいし、そんな彼を怖がりこそすれ、すぐに打ち解けたり受け入れたりするそのメンタリティが理解できないし不思議でならなかったんですよね。エドワードの奇妙な容姿も、手がハサミだということも、すべて「その人の個性」程度のこととして受け入れてしまう世界。そんな世界観にわたしはつよく惹きつけられていたような気がします。


そしてもうひとつ、この作品ですごくわたしを惹きつけたのは決して言い訳や弁解をしないエドワードのキャラクターでした。


物語が進むにつれて、エドワードはいろんな人の利欲に振り回され、さまざまな嫌な目にあう羽目になります。泥棒の片棒を担がされた挙句一人取り残されたり、言われのないうわさを立てられたりとわたしだったら怒り散らしたり、誤解を解くために言い訳をすると思うのですが、エドワードは決して言い訳も弁解もせず、ただその状況を受け入れてしまいます。


最初はそんなエドワードの態度にイライラしたのですが、でももしかしたらエドワードの態度が一番正しいんじゃないかなと不意に思っちゃったんですよ。だって、そもそも言い訳とか弁解って自分の名誉とか評判を落とさないための行為であって、それをされる相手にしてみれば別にどうでもいいことなんですよね。
しかも、言い訳や弁解ってすればするほど相手が信じてくれなくなると思っていて、もしかしたらわたしがいじわる過ぎるのかもしれませんが、何かあったときにすぐに言い訳や弁解をする人のことをあまり信用できないと思っていますし、そんなのするくらいだったら行動で自らの正しさを示そうとしてくれた方がよほど伝わるような気がするのです。


もちろん言われのない誤解を解いておきたいというのは分かるんですけど、でもいままで言い訳や弁解を聞いて相手のことを見直したり誤解が解かれたりっていうのは一度もないわたしに言わせれば、言い訳や弁解なんて言うだけ無駄っていう気がしてくるんです。


エドワードがそこまで考えていたのかはわかりませんが、でもどれだけ誤解されて窮地に陥っても決して言い訳しないところがとてもグッときました。


などと、この作品がおもしろかった理由について眠い目をこすりながらあれこれ考えては見ましたが、とりあえず雪の降る理由が悲しくもロマンチックですごく好きだということだけはここで述べておきたいと思います。

*1:本当は体のいい言い訳というか考えるのが面倒なだけです