「三国志」見たよ


戦乱の中国。貧しい家に生まれた趙雲アンディ・ラウ)は祖国統一の夢を抱き、同じ志を持つ平安(サモ・ハン)と共に<蜀>の君主・劉備(ユエ・ホア)に仕える。西暦208年、<魏>の最高権力者・曹操(ダミアン・ラウ)率いる大軍に攻められ、彼らの軍は劉備の夫人と子供を見失ってしまう。君主の家族を見捨てることができなかった趙雲は、たった一人で夫人らの救出に向かう。立ちはだかる何万という曹操軍の中を突破し、無事に嫡子を擁して劉備の元に帰参。さらには、曹操の剣まで奪ってくるという快挙を成し遂げた。感動した劉備趙雲を称え、“五虎大将軍”に任命。趙雲は<蜀>の国に無くてはならない武将となっていった。同年に起きた“赤壁の戦い”以降も20年間に渡り国を守り続けていた趙雲だったが、思いもよらない裏切りに遭い、名誉ある引退直前に最大の危機が訪れる。仲間が次々と戦死していく中、いまだ果たせぬ夢のため、彼は10万の敵軍へと単騎で突き進む――。英雄の平民・趙雲の壮絶な生涯と、彼を取り巻く乱世を描いた歴史大作。

『三国志』作品情報 | cinemacafe.net

宇都宮ヒカリ座にて。


わたしは中学生の頃に柔道部だったのですが、その当時はオブラートに包んだ表現をすればぽっちゃり系、ストレートに言うとデブでした。たしかにご飯も人一倍食べていたので大きくなるのは必然でして、そんな背が低く太っている容姿を見た先輩からは「サモハン」という呼び名を与えてもらっていました。
このサモハンというのは、香港映画の大スターである「サモ・ハン・キンポー」から取られたものなのですが、別に動けるデブというわけではなく、あくまで外見が似てたという程度の理由だったのですが、内容が伴わないにも関わらず意外に定着してしまい、その名前で呼ばれることがとても増えたのです。
太っていることを揶揄されることは嫌でしたが、サモハンと呼ばれることはさほど嫌ではなくむしろそう呼ばれることを誇らしいとさえ感じていたのですが、高校に入ってしばらく経つと普通の体型になってしまいそんな呼ばれ方をしなくなったのでわたしもそう呼ばれていたことをすっかり忘れていました。


さて。いきなり何でこんな話をしたのかというと、この作品にサモ・ハン・キンポーが出ていてとても嬉しかったというただそれだけのことを言いたかっただけなのですが、本当に彼を見たのは何年ぶりだろうと思い返してみても思い出せないくらい久しぶりなのですが、相変わらぬ体型、容姿のまま健在でいてくれたことがとても嬉しくて出てきたそのときからかなり興奮してしまいました。
ただ、わたしの中では彼はコミカルなアクション俳優だという印象ばかりが強く残っていたのですが、この作品では重要な役柄ではあるものの、一切のアクションシーンには絡んでいないことに驚いてしまいました。驚いたというかとても残念に感じたのですが60歳という年齢を考えれば当然かも知れません。それでも彼が出ていること自体がとても嬉しくて、一挙手一投足に釘付けになってしまいました。



ずいぶんと話が寄り道をしてしまいました...。
本作は三国志の英雄の一人である趙雲の一生を描いた作品なのですが、たしかレッドクリフを観たときにも書いたような気がしますが、わたしは三国志にはとんと興味がなくて誰がどうとかさっぱりわかりません。有名な武将であれば、名前くらいは知っていますがその武将が3国のどの国にいたのかとかはさっぱり分かりませんし、そういった意味ではこの作品がどの程度史実を忠実に描いているのかということは判断出来ませんが、ただの一兵から英雄と呼ばれるに至った趙雲の一生をうだつのあがらない同郷の先輩である平安をからめて描いているのはとてもおもしろい試みだと感じました。
趙雲が死の間際にたどり着いた「結局国も時代も変えることが出来なかった」という諦観とも言える心境について、それを打ち明けられた平安がどれだけ趙雲の心境を理解出来たのだろうと考えるととても絶望的な気分になります。
平安から見たら趙雲というのはもう遠い手の届かないところにいってしまったように感じているのだけれど、でも趙雲にとっては結局何も変えられなかった点では凡夫と同じであるという気持ちをもっているそのすれ違いがすごく悲しくて切なくてやりきれないなと感じずにはいられませんでした。


大作という感じではありませんが、三国志作品としてはレッドクリフよりも好きだなー。
レッドクリフⅡ見てないけど。


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