結婚式の意味

彼女に連れられて連休の間にあちこちのホテルのブライダルフェアに行ってきた。

最近ようやくわかってきたのは、彼女にとっては結婚とは結婚式のことらしいってこと。

入籍すれば別に盛大な式なんか挙げなくていいじゃないか、と思っていた俺には半端なく重荷だ。

結婚式って何のためにするの?


我が家の場合、私とマコ*1は結婚式にはさほど興味がないというか積極的にやろうという熱意は一切もっていませんでした。ところが私の両親から「結婚式やらないなんてありえない」というかなりオフェンシブな働きかけがありまして、まあそれに寄り切られる形で披露宴をやることになりました。
昔から人前に出るのが苦手だった私は正にこの増田のような考えだったし、披露宴をやると決めてからは毎日毎日憂鬱でした。そんなわけで無事にその日を終えた今でも、「結婚する当人がすごくやりたい場合を除いてはやらなくてもいいんじゃね派」に在籍しています。積極的に結婚式をやりたいという人の意見は尊重しますが、でも「絶対に結婚式はすべき」という意見とは断固戦うつもりです。


会場の下見から打ち合わせ、招待状の宛名書き(これは丸投げしたな...)や帰りに渡すお菓子の包装など、披露宴当日までにやらないといけないことはものすごく多くてうんざりさせられたし、当日は当日で見覚えのない親戚方々への挨拶回りや披露宴本番!!とまさに目が回るような忙しさでした。20代中盤の元気ある若人だったから乗り切れたものの、今同じことをやれと言われたら2秒で失禁して2度と目を覚まさない自信があります。ぜったい無理です。



ですが、そんな披露宴でも終わってみるとやってよかったなと感じる点がひとつありました。
それは離れた場所にいる友達が集まる(集まってもらえる)大義名分になったということです。
わたしは今でこそ栃木県に住んでいますが、この土地には縁もゆかりもなくて就職を機に引っ越してきました。引っ越してきてしばらく住んでみて気付いたのは、栃木県というのは立ち位置が非常に微妙な県だということです。
例えばうちの実家(秋田県男鹿市)の人々から栃木を見れば、栃木県は東京圏に含まれる都会に見えるようです。そんな思考回路を持っているためか、中野区に住んでいる弟や小田原市に住んでいる叔父にもっとまめに会いに行ったらどうかと提案してくるのですが、はっきり言ってどちらも全然近くありません。小田原なんて新幹線乗っても2時間近くかかるよ...。そんなことを言われるたびに「たしかに相対的には秋田よりは近いけどね...」と説明するわけですがどこまで理解してくれてるのか...。
ちなみにうちのばあちゃんはいまだに宇都宮と大宮を区別出来ません。最初は誤りを訂正していた私もそろそろどっちでもいいような気がしてしまい、今は間違ってもそのままウンウンうなずいています。


話が2段階くらいずれてしまったので1段階元に戻しますが、それでは首都圏の人から見た栃木ってどうなの?と問うと間違いなく南東北扱いなんですよね。上野から鈍行で2時間もかかるのでその言われようもある意味しょうがないのですが、でも本来、というか本質的にはまったく同レベルの群馬とか茨城はどうかというとこれはもう少しランクが上なんですよね。群馬はほぼ栃木とイコールといってもいいくらいの誤差程度の差しかないのでまだいいのですが、本質的には同等レベルのはずの茨城がつくば市のおかげでちょっと格式高く見られているのが少し悔しいです。つくばエクスプレスがとおったことでこのイメージ戦略がさらにうまくはたらいていてわたしはとても腹立たしいのですが、こればかりは茨城県の戦略がよかったということで負けを認めたいと思います。わたしの予定では水戸がもっと足を引っ張る予定だったのですが、水戸は予想以上に存在感を示せなくて空気のようになってしまったのは予想外でした。もっと納豆の像をアピールして異彩を放ってほしいものです。


すいません。また話がずれたのでもう一度戻します。
で、ここまでの話で言いたかったのは、栃木県ってなんとなくどこからも遠いイメージがあるんだということなのですが、その影響かなかなか宇都宮まで遊びに来てくれる人がいませんでした。みんなで集まる場所といえば都内だったし、地元の友達と会う場所といえば秋田に帰ったときだけでした。「餃子おごるから遊びにおいでよ!!」と誘ってはみるのですが、「栃木は遠いからまた今度ね」と断られてばかりでした。
そんなわけで、就職して2年くらいは昔の友達とゆっくり会う機会がなくてさみしかったのですが、結婚式を理由に友達とゆっくり飲んで話すことが出来ました。披露宴は無理だったけど二次会/三次会は本当に楽しかったし、時間を作って遠くまで来てもらえたことがものすごくうれしくてトイレでメソメソと泣きました。


結婚式をやるべきかどうかは人それぞれだし、そういう意味ではこの増田の言う「結婚式をやる意味なんてあるのか?」という問いには一般的な回答はないんじゃないかと思うんですよね。披露宴なんてやりたくないと思っていた私でも、実際にやってみたらやってよかったと思えることがあったわけですし、逆に、やりたくてやったんだけどやらなければよかったっていう人だって少なからずいます(昔こんな記事を書いたことを思い出しました)。


それともうひとつ。

新婦は、きれいなドレスを着飾って、自分が主役になれる事が満足なのかもしれない。

新郎は、美人な嫁を娶ることの自慢と、自分の人脈の誇示ができて得意気になれるのかもしれない。

そうだとすると、付き合わされる人達にとっては大迷惑だな、まったく。

結婚式って何のためにするの?

結婚式をやる意味についてこんなことを書いていますが、ネガティブ過ぎるなあというのが率直な感想。
大事な友達の大事な一日に付き合えるってすごくうれしいことだし、今まで結婚式に呼ばれて迷惑だなんて思ったこと一度もないよ。出席者全員がそう思っているかどうかは

自信がないけれど、でも親戚や友達の結婚式は楽しいものだと思ってる人もいるってことは覚えておいてほしいです。


あと結婚式が人脈誇示ってのは新郎の考え方次第じゃないの?
もし増田がそんな思考回路の持ち主ならたしかに結婚式に呼ばれて不快感を感じる人もいるかも知れないけれど、そうじゃないならそこまで考えるのはネガティブ過ぎるので気にしなくてもよいよ。大勢の人を自分のために呼ぶというのが何となく後ろめたいというのであればその気持ちは何となくわかるけど、こういう迷惑の掛けられ方って意外に悪い気がしないし不愉快には感じないもんです。



最後にもうひとつ。
離婚を考えたときに結婚式の思い出がブレーキになるのかって書いてあったけどそれはならないと思います。わたしは離婚経験はないのであくまで脳内シミュレーションに基づいて算出した結果なので信じなくてもよいのですが、でもたぶんならないです。


増田がよい決断を出来るよう願ってます。

*1: