譜めくりの女


小さな町の精肉店の娘、10歳のメラニー(デボラ・フランソワ)はピアノの才能を有するも、音楽学校の入試で無慈悲な女性審査員・アリアーヌ(カトリーヌ・フロ)に落とされ、ピアニストの夢を諦めてしまう。しかしそれから10数年後、あの夢を打ち砕いた審査員の夫・フシェクール氏(パスカル・グレゴリー)との出会いから、メラニーの運命は変わり始める。フシェクール夫妻の息子の家庭教師として働き始めたメラニーの、音楽に対する鋭い感受性に気づいたアリアーヌは、彼女にピアニストである自分の楽譜をめくる役を課すのである…。

『譜めくりの女』作品情報 | cinemacafe.net

福島フォーラムにて。
一人の女性が幼い頃に受けた音楽学校の実技試験での仕打ちと、それに対する復讐劇を描いた作品。真綿でクビを絞めるようにジワジワと追い詰めていく直接的な怖さと、10年以上経ったにも関わらず色あせることが無かったメラニーの復讐心の根深さという間接的な怖さ。その恐怖のダブルパンチでとても怖いのですが、一方で、次の展開やどうしめくくるのか結末が読めない意外性が非常におもしろくて最後までまったく目が離せない作品でした。
とても面白かったです。


先日、東野圭吾の「殺人の門」という本を読みました。


殺人の門 (角川文庫)

殺人の門 (角川文庫)


これは一人の男性の半生を、本人の視点で描いた作品なのですが、あまりに内容が強烈過ぎて感想もまともに書けないほどだったのですが(感想リンク)、この作品では「人を殺してしまうに値するほどの殺意」というのがひとつのテーマになっています。瞬間的に湧き上がってくる殺意ではなく、年月を重ねてもなお衰えない殺意というものがどのようなものなのかを知りたいという想いを抱えて生きるひとりの人間の気持ちが生々しく描かれているのです。


私は沸点が低いというか結構いろんなことに対して細々と怒ることが多いのですが、その分怒りが持続することはほとんどなくてほぼその場限りで終わりです。だから月日の経過で色あせない怒りというものを身を持って実感したことが無い分、逆に想像も出来ないほどものすごい衝動なのだろうなという感想をもちました。


話をこの作品に戻しますが、「10年以上鮮度を保ち続けられる復讐心」というものがどれほどのものなのか想像もつかないのですが、無表情のまま一切躊躇することなく報復を実行するメラニーを見ているとその凄まじさが伝わってくるような気がしました。


公式サイトはこちら

世界の終わり、あるいは始まり

世界の終わり、あるいは始まり (角川文庫)

世界の終わり、あるいは始まり (角川文庫)

たとえ近所で誘拐事件が起こっても、所詮他人の不幸に過ぎず、自分には関係がない……。


東京近郊で、身代金目的の男子児童の誘拐事件が発生する。身代金はいずれも決して高くない。しかし、犯人は受け渡しの場所には姿を現さず、連絡も途絶えてしまう。

後日、誘拐された児童が遺体で発見されるが、どの子も身代金受け渡しより前に殺害されていたことが判明する。その残忍な犯行は世間を大いに賑わせる。

最初の事件から3カ月が経とうとするある日、会社員の富樫修は、息子・雄介の部屋で似つかわしくない一枚の名刺を見つける。その時は大して気に留めなかったが、それから9日後、4度目となる新たな誘拐殺人事件が発生。被害者の父親の名は、雄介が持っていた名刺の人物と同一人物だった。小学生の息子が一連の事件に何か関係があるのだろうか、そんな考えを打ち消すために事件のことを調べていくが、疑惑は益々深まっていく。

世界の終わり、あるいは始まり - Wikipedia


世間を震撼させるような連続殺人事件にわが子が関わっているとしたら...。
子持ちには考えるだけで憂鬱になる話であり、だからこそ非常に気になるし興奮させられるストーリーなのですが、この作品の肝はストーリーそのものではなく、作品の構成にあります。
ひとつの起点をもとに、複数の結末をパラレルワールドのように展開させる構成は初めて見る形式でとてもおもしろいと感じました。おもしろいテーマを扱った場合、きっとさまざまな結末を思いつくのだと思いますが、それらをすべて一冊の本に納められるこの構成はとてもうまいなと感じました。


ただ、あまりしつこく繰り返されると冗長過ぎてうんざりしてしまうのもまた事実でして、その点だけはちょっと残念でした。


それでもこのような斬新な構成は*1同著者の「葉桜の季節に君を想うということ」を読んだときのような意外性が感じられてとてもよかったです。

*1:一種の夢オチだと考えれば斬新ではありませんが構成の工夫だと思いますので、あえて斬新だと言ってみます