ブログをやめるとき

先日↓この記事を読んでからずっとブログをやめるときのことについて考えていました。

私もいつかブログの世界から消えるのだろうなと思う。どう消えるのかとしばし考えることは多い。突然の死によって途切れるか、私が終了の辞を書くか。黒光さんが思っているだろうように、ブログを終わりを言い渡した「私」とはなんだろうとは思う。

 私は、別段ブログを書かなくても生きているというか、私の生活者の一面はあまり書いていない。6年近く書きながら、いつのまにか「爺」ステータスな、役作りの気持ちもないではないし、「匿名」で書いてみたい気もしないではない。うまくいえないが、ブログで表現される「私」は私ではない。

ブログ観みたいなもの - finalventの日記


わたしはかなりのネット依存症でして、特に何かを見るでもないのにぼんやりと画面上のリンクをクリックし続けていることがあります。
なぜここまでネットの世界が好きなのだろうということを考えてみると、自らが情報を受け、それについて考えたことを発信する。そうやって少しずつ関わりあう点を作ることで、ささやかではありますが自分の居場所だと実感出来ることが嬉しいのだろうと思うのです。


昔は個人サイトと呼ぶのも恥ずかしい日記と掲示板だけのサイトを持っていましたが、1日20人もくればよい方でしてほとんど知らない人に読んでもらう機会なんてありませんでした。20人のうち半分以上は知り合いや私自身のアクセスだったんですよね。
そのときのことを考えると、今は1日200〜400くらいのアクセスがありますし、ほとんどが会ったことのない知らない人ばかりというのも本当にすごいなとしみじみと感じます。本当に嬉しいです。


だから今はブログを止めるなんて全然考えてもいないのですが、でもいつかは必ず更新しなくなる/出来なくなるときがくることは間違いなくて、そのときのことを考えることはよくあります。



一番ありがちな理由としては、やはり「死んだから更新出来なくなる」です。止める意思はないわけですから直近であるとすればこれだろうなあ。今のところ体調は悪くないので予定はありませんが、人間ですからいつぽっくり逝くのかは分かりませんのでその日に備えて下書きには最後の更新用の記事を書いたりしています。


あとは仕事やプライベートなことで忙しくて更新出来ないというのも結構ありそうです。
最近は、仕事がどんなに忙しくても22時には絶対帰って来れるので大丈夫のはずですが、それでもこうやって毎日更新出来るのは仕事が落ち着いているから出来ることなのです。家庭の事情というのもこれに加わりますが、やはり1時間くらい自由になる時間がなければ、ブログの更新って出来ないですよね。


他にも更新がめんどくさくなる(元々とても飽きっぽい性格なのでありそう...)とか、荒らされて落ち込むとかそういう理由もあるかも知れません。
その日がいつなのかは分かりませんが、もうしばらくはこのままブログをとおしてネットの世界と関わっていきたいです。


(追記)
この記事を6/18にアップしたつもりでいたのですが、下書きに残ったままでした...。更新記録が途絶えていたので調べてやっと気付きました。いまさらアップするのはどうかと思ったのですが、今日の分は今日の分で書いているので、やはり6/18分としてアップします(今日は10/13)。