
レイキャビクの美術大学に通うウナには、ディッディという大切な恋人がいる。しかし彼には遠距離恋愛をしている長年の恋人クララがいるため、ウナとの関係は周囲に隠している。ある日、ディッディはクララに別れを告げにいくと家を出るが、その途中で事故に巻き込まれ帰らぬ人となってしまう。誰にも真実を語ることができないまま、愛する人を失った悲しみをひとり抱えるウナの前に、何も知らないクララが現れる。
突然、君がいなくなって : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com
@千葉劇場で鑑賞
先日、とあるテレビのトーク番組で鳥居みゆきさんが「月1で最後の晩餐選手権」をやっているという話をしていました。
人生の最期に食べるものとして何が一番いいのかを決めるためにやっているということだったので、「数ある好きな食べ物の中で最後に食べるならどれがいいのかを決めるのかな」と思って話を聴いていたのですが、意外にも「最期に食べるのは嫌いなものがいいからどれが一番嫌いなのかを決めるためにやっている」と言っていました。
一瞬「え?」と思ったのですが、最期に嫌いなものを食べたい理由として「美味しいものを最期に食べて未練を残したくない」と言っているのを聴いてめちゃくちゃ分かるかもと思いました。
自分は普段から死の際に立った瞬間を想像することがよくあるのですが、そのときに「〇〇しておけばよかった」とか「まだ××してないんだよな」と後悔している自分を想像することがあってとても悲しい気持ちになります。もちろんそういう後悔がひとつもない人生というのもないとはわかっているのですが、何か未練を抱えたまま最期を迎えるのはすごく嫌だなといつも思っています。
だから最期に美味しいものを食べてしまうと「また食べたいな」と思ってしまいそうなので最後は嫌いなものを食べたいという気持ちはとても腑に落ちるし自分はとても共感できると感じました。
ただ、一般的には「死ぬときにこの世に未練を残したくない」というのはおそらく多くの人がもっている普遍的な感情だと思うのですが、一方でこの鳥居さんのエピソードがおもしろい話として扱われるということを考えるとこの未練を残したくないという気持ちの強さには人によってかなりの幅があるのではないかと感じました。鳥居さんや自分はできる限りの未練は残したくないと強く思うタイプなんだろうとこの番組を見て思ったのでした。
本作は恋人を失ったウナの視点で物語がすすんでいくのですが、自分はどうしても死んでしまったディッディのことを考えてしまいました。
作中ではディッディを失った周囲の人たちの喪失感の深さがとてもリアルに描かれていて、自分の人生の少なくない部分を埋めていた友人・恋人の不在の大きさが痛いほど伝わってきました。悲しみに打ちひしがれる姿を映すシーンはかんたんには切り替わらず、自失に暮れる人たちの苦しさが観ているだけの自分にものしかかってくるような気持ちになりました。
そして周囲の気持ちをリアルに感じれば感じるほど、自分の頭の中はディッディが残してしまったたくさんの未練について考えずにはいられなくなってしまいました。
新しい恋人と過ごすはずだった楽しい時間を失ってしまったこと、クララに別れを告げられなかったこと、仲が良かった友だちと最後の言葉も交わせなかったこと。
ディッディが死ぬ間際にどれだけの時間の猶予があったのか分からないし、そもそも死んでしまったら後悔したり未練を感じることもできないので無駄な想像かも知れませんが「自分がディッディだったら...」と想像すると気分が悪くなるくらいつらい気持ちになりました。
どんな人でも未練を残さずに最期を迎えることは無理だろうというのは分かっているのですが、それでもできる限り未練を残さない努力はしたいなとこの映画を観て改めて思いました。