33年前のことを思い出した


いまから33年前。秋田県能代市沖を震源とする日本海中部地震という大きな地震がありました。



当時クレヨンしんちゃんのしんちゃんと同じ5歳児だったわたしは近所の保育園に通っていました。
先日保育園に子どもを入れられないことに対しての怒りを綴った匿名ブログが話題になっていましたが、30年前の田舎の保育園というのは本当に誰でも入れる場所でして、わざわざ遠くの幼稚園に行かせようというほど意識が高くない家庭の子どもたちが通うのんびりとした場所でした。家から1kmもなかったので歩いて通ってことを思い出します。


地震があった日。
ちょうどお昼ご飯を食べているときに急にものすごく揺れ出してびっくりしたことと、揺れがおさまった後に園内から園庭にあった大きな木の下までみんなで走っていったことはおぼえています。ただ、じゃあ怖かったのか?というとそんなことはなくて、もちろんびっくりはしたのですがそれよりも普段はご飯を食べている最中に立ちあがったら怒られるのにその日はみんなが立ち上がって外に走り出すというとんでもない非日常にさらされたことですごくワクワクしてしまいました。

その後も普段は迎えにくることのなかった父方の叔父が保育園まで迎えに来たり、しばらく保育園に行かずに家族全員が自宅にそろった状態で毎日を過ごしたりと日常の姿がすっと変わったことがすごく印象的でした。

電気もガスも水道も止まっていたはずなので大変なこともあったと思うんですがそんなにつらかった記憶はないです。
記憶に残っているのは近所や親せきの人たちとのコミュニケーションが増えたことで心強く感じたりうれしく感じたことばかりなんですが、それはわたしが子ども過ぎて何もわかっていなかったということも大きかったんだろうなと思うのですが、一番大きかったのは大人たちが子どもたちが不安にならないようにしっかりとしていたからだろうと思います。


あの日本海中部地震から28年後に東日本大震災が発生しました。


あの震災で宇都宮市は震度5強を記録しました。おそろしいくらいに揺れたし、その後テレビで繰り返し流される津波の映像を見ながらまるで自分の足元が崩れていくようなそんな感覚をおぼえました。当たり前のようにあると思っていたものが実は何もなかった、そんな気分になりました。このまま日本は終わるんじゃないかと冗談抜きで思いました。

めちゃくちゃ不安でした。


あれから5年が経ちましたが、5年前に一度抱えてしまった不安はふとしたときにいまでも現れます。
不思議なのですが、不安を感じるきっかけというのはとくになくてなんでもないある瞬間に「もしここであんな地震が起きたらどうしよう」ということが頭に浮かんできてどうしようもなく不安になります。


そしてその不安に苛まれながらいつも「日本海中部地震のときにわたしの両親や周囲の大人たちは不安じゃなかったんだろうか」と考えてしまいます。あのとき、子どもだったわたしに不安を抱かせない態度を示していた当時の大人たちはこういう不安とはどう向き合っていたんだろうかと。


今日はあれから5回目の3月11日です。