「太陽の坐る場所」見たよ


学校中の人気を集め、クラスの女王として君臨していた響子は、立場も友達も好きな人も、何でも手に入ると思っていた。そして彼女のそばには、いつも、同じ名前を持つ同級生の今日子がいた。しかし、ある出来事をきっかけに光と影が逆転する。 それから10年。過去の輝きを失い、地元地方局のアナウンサーとして満たされない毎日を過ごす響子と、彼女とは対照的に、東京に出て誰もが憧れる人気女優として活躍する今日子。そんな2人の元にクラス会の知らせが届く。卒業以来、言葉を交わすことすらなかった2人がそこで再会を果たすとき…初めて語られる10年前の残酷な真実とは?

『太陽の坐る場所』作品情報 | cinemacafe.net


原作がすごく好きだったので期待して観に行ってきましたが、ここ最近だと記憶にないくらいひどい作品でした。
登場人物と物語のエピソードの一部をつまみ食い程度にチョイスして並べただけで原作の良さが微塵も残されていないうえに、そもそも映画単体として観てもおもしろくなくて見どころがほとんどありませんでした。本当に原作を読んで脚本を書いたのか?と聞きたくてしょうがないくらい救いようがなくて途中で観るのを止めて帰りたくなりました...。

つらかったです。


原作は「キョウコ」という同じ名前の2人の過去と現在を描いた作品であり、二人の学生時代と現在の立場の逆転/変化を、彼女たちを取り巻く人たちから見た二人の違いをとおして描くという群像劇です。

「もっといい学校に行けたのに大好きな男の子といっしょの学校に通いたくてここに入学してきて、そのことを隠すそぶりもなく周囲に公言してはばからない」という響子は、その端正な容姿と堂々とした態度で入学当初から多くの人にその印象を残します。そんな彼女はいつも取り巻きに囲まれているのですが、じょじょに求心力を失い、ある出来事をきっかけに完全にその力を無くしてしまいます。


2人のキョウコのいまと過去。

地元で地方局のアナウンサーとしてお茶の間の人気者になって活躍を続けるキョウコと、東京で女優として活躍するキョウコ。果たしてどちらのキョウコがどちらのキョウコなのか?*1というところが分からない構成になっていてその点も作品の魅力のひとつでしたが、何よりもよかったのは登場人物の人となりを抱えている暗い部分も含めてちゃんと描いていたためにどんなに嫌なことをする人でもその根幹の部分に対する理解ができたことです。

物語の中心に据え置かれているのはあくまでキョウコなのですが、その彼女たちにまなざしを向ける脇役についても彼ら/彼女らの価値観なり考えなりがちゃんと伝わってくるくらいにしっかりと個性を与えていて、そのことがすごく世界観に深みをもたらしてくれていたのです。


ところが映画ではそういった描写は一切なく、ただただ物語を追うためだけにエピソードや登場人物が配置されているだけでその中見はすっからかんでしたし、挙句はキョウコの高校時代を演じる人の演技があまりにひどくて観てられないというおまけつきでした。


今年のワースト候補に入れたいくらいです。


@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞



公式サイトはこちら

*1:文章にするとやたらわかりにくい