「オー!ファーザー」見たよ


4人の親父を持つ高校生・由紀夫(岡田将生)。同居生活を続ける由紀夫はある奇妙な事件に巻き込まれてしまう。由紀夫が監禁されたのだ。絶対絶命の状況下で、愛する息子を救うため、4人の親父が取った行動

『オー!ファーザー』作品情報 | cinemacafe.net


以前、伊坂幸太郎さんの著書で「魔王」という作品を読んだときに「人生は要約できない。日常のさりげない出来事のひとつひとつが人生であって、大きなイベントだけを残して切り捨てて要約しようとしてもそれはもう人生ではない。」という趣旨のセリフがあっておもしろいなと思ったことがあります。

「要約する」というのは言い換えれば分かりやすくするということであり、無駄に見えるものを省くということです。

わたしは昔からこの要約が大嫌いでして、たとえば国語のテストなどで「このセンテンスを100字以内で要約せよ」なんて問題が出てくると「ああ、無駄があるからおもしろいのになんでこんなことさせるんだろう...」と不満顔で回答を埋めていました。


文章を要約というのはイコール文章を合理化して分かりやすくすることなんですが、そもそもでいうとわたしはこの合理化という考え方が好きではありません。それは合理化することで失われるものが大き過ぎることが多いからです。


もちろんよい合理化というのもあります。

そもそも世の中を見渡すと「合理的であること」というのはとてもいいことであると考えられていて、とくにビジネスにおいては無駄を省いて効率化することは絶対的な善であると考えられています。少ない資源で大きな利益を得るためにはさまざまな手間を合理化していくことが大事であってわたしもそのことに異を唱えるつもりはありませんが、決してすべての合理化が正しいことであるとも思っていません。


合理化というのは無駄を省くという性質上、おもしろかったものをつまらなくする行為であるとわたしは思っています。

むだというのは言い換えれば「事象の核となるエッセンスを取り巻く装飾」であるわけですから、合理化するためにはそういった装飾はすべて取り払わなければなりません。そう考えると合理化というのは物事をつまらなくする行為にほかならないことが分かるかと思います。


わたしがこの映画「オー!ファーザー」を観て感じたのは、原作のストーリーを映像化するにあたって必要最低限のエッセンスだけを抽出して構築したんだなということでした。たしかに原作の設定やら物語はちゃんと活かされているし、その点だけ見れば小説の映像化としては成功事例として挙げてもいいくらいよいお仕事をしていると思います。


ただ、結局のところよくもわるくもそれだけでして、原作らしさの匂いがするだけで原作のよさがまったく移植されていないと感じました。

具体的に指摘すると4人の父親がいるという部分の掘り下げや父親たちのキャラクターを確立するためのエピソードが決定的に欠けていて感情移入したりハマったりしにくいなと感じたし、エピソードのほぼすべてが回収するための伏線としてしか使われておらず、合理的にまとめてしまった、つまりあまりに無駄がなさ過ぎるがゆえに逆に物語がいびつに感じられました。

文章で構築されている複雑な物語を合理的にまとめて映像化してみせたその手腕はすばらしいと思いますが、物語というのはあまり合理的にまとめてしまうと途端に不自然に見えてしまうんだなということを痛いほど実感しました。


@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞


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