失敗をおそれずに挑戦できる幸せ


人生3度目のフルマラソンを完走してから2日が経ちました。



走った翌日の月曜日は歩くのも苦痛に感じるほどの筋肉痛に見舞われましたが、本日火曜日になったら痛みはかなり落ち着きまして、さすがに走るのは無理ですが歩くくらいであればふつうにこなせるくらいに回復しました。

さらに走った直後に右足に出来た血豆も、乾燥→皮ごととれる→完治というコンボが決まりましてすっかり全快しちゃいました。

ここ最近、足の怪我もそうですが全体的にひ弱になってきたなとへこむことが多かったのですが、今回の回復力のように強くなっている部分もあるんだなということを知って少し嬉しくなりました。とりあえず明日からまた走る練習を再開できそうです。


さて。

日曜日のフルマラソンですが、残念ながら3時間30分を超えるタイムでの完走となりました。

走る前からこの程度のタイムになる覚悟はしていましたし、足の状況を考えればタイムを問わず完走しただけでも十分満足できる結果だと思います。ただ、それでもいざタイムを見てしまうと半年前よりも7分遅くなっているという現実はとにかくくやしいし、この半年間の練習がまったくのむだだったと言われているような気持ちにもなってしまいます。

日曜日はさすがに走り疲れていたので寝ちゃいましたが、一日経った昨日は疲れもそれなりにとれていたためか眠ることができなくて、タイムを見るとわきあがってくるくやしさと向き合いながらあれこれ考えこんでしまいました。


そんなふうに一晩さんざん落ち込んだのですが、落ち込むところまで落ち込んだおかげであきらめがついたというか終わったことを悔やんでもしょうがないのでとりあえず次のフルマラソンで結果を出せるようにがんばろうということで気持ちには整理がつきました。で、そんなふうに整理がついたときに「こうやって失敗できるのってすごい幸せなことだな」ということに思い至ったのです。


話は少し変わるのですが、会社に入って働くようになるとミスというものにものすごい敏感になります。

学生のころは自分がなにかミスをしたとしても自分が損をするくらいしかリスクはありません。ところが組織や集団の中で働くようになると、自身のミスはさまざまな形で周囲のたくさんの人にたいして迷惑として降りかかることになります。場合によってはお客さんにも迷惑をかけてしまって信用を失ってしまうことにもつながります。


そんなこともあって、当然仕事ではなるべくミスをしないように周到にいろんなことを準備するようになるし、失敗するリスクについては事前に徹底的に排除するようになります。そしてそんなふうにリスクを取り除くことを何度もくりかえしていくと、いつの間にかリスクを恐れすぎていままでやったことしかやらなくなってしまうときがあります。


本当はもっといい方法、いいアイディアがあるかも知れないけれど、失敗したら困るからリスクのない既知の方法でやろう。


決して大げさでも何でもなくわたしはこういうことをよくやってしまいます。恥ずかしいですが。


「失敗しない」ことはとても大事です。でも失敗しないために挑戦しないことはダメだと思います。


今回のフルマラソンはわたしのランニング人生の中で初めての大きな失敗です。

走り終えた直後は足の怪我や体調不良を理由にマラソン大会への参加を見送ればよかったとくやみました。大会に参加せず走らなければ結果は出なかったし結果が出なければ失敗ではなくなると思ったからです。

でもいまになって思うのは結果はどうであれ走ってよかったということです。こんなふうに高い壁に挑戦して失敗する、そして次はまた挑戦しようと思えることってすごく幸せなことなんじゃないでしょうか。失敗したところでわたしがくやしいだけで誰にも迷惑はかけません。

だから悔し紛れでも負け惜しみでもなく、「フルマラソンを完走したこと」と「このタイムに終わってしまったこと」をとても幸せなことだと感じています。挑戦して全力を尽くしたという充実感と、また挑戦したいことができたことはとにかくうれしいです。


そんなわけで次のフルマラソンの目標は11月の大田原マラソン
ここでは3時間10分以内に完走してボストンマラソンの参加資格を手に入れることを目指します!