最近読んだ本の感想(2014/3/10〜3/31)


3月10日から3月31日まで読んだ本の感想まとめ。

18. 本日は大安なり


一世一代のたくらみを胸に秘める美人双子姉妹、クレーマー新婦に振り回されっぱなしのウェディングプランナー、大好きな叔母の結婚にフクザツな心境の男子小学生、誰にも言えない重大な秘密を抱えたまま当日を迎えてしまった新郎。憧れの高級結婚式場で、同日に行われる4つの結婚式。それぞれの思惑と事情が臨界点に達した、そのとき―。世界一幸せな一日を舞台にした、パニック・エンターテインメント長編の大傑作。

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本作はある結婚式場のある一日を描いた群像劇ですが、さいきんすっかりと忘れかけていた「結婚式やそれにつよいこだわりをもつ人たちに対する苦手意識」を思い出しながらとても楽しく読めました。おもしろかったです。


わたし自身は「結婚式なんて別にしなくていいんじゃない?派」でしたが、うちの両親が「結婚式をやらないなんてありえない派」原理主義者でしたので、結婚に際して披露宴もふくめひととおりちゃんとやりました。準備や当日のイベントはたいへんでしたが、旧友や研究室の先生と久しぶりに会えたのはすごくうれしかったです。


「人生には自分のためにみんなが集まってくれる機会が3度ある。一つは生まれたとき、もう一つは死んだとき、そしてもう一つは結婚式だ」というのは、わたしが祖母から教わっておぼえている数少ない言葉のひとつです。


たしかに自分のために大勢の人に集まってもらう機会というのはこのくらいでしょうし、その中で主体的にできるのは結婚式くらいなのでそれを大事にしようというのはわかるのですが、でもそのためにかかるコストがあまりに大きすぎるんだよなとわたしは思っていました。


でも振り返ってみればそういった大変さもまた人生に一度のお祭りと思えばよい思い出として残るし、思ったほど悪いもんじゃなかったなと。もちろんお金がかかり過ぎるという問題以外にも、いろんな人の時間を拘束してしまうという課題はあります。ただ、逆に自分が知人の結婚式に呼ばれたときのことを思い出してみると呼ばれることがすごくうれしかったり、あの時間を楽しんで過ごしていたりしていたんですよね。

もう一度やりたいか?と聞かれたら1秒とかからず「NO!」と答えますが、でもやったことについては後悔はしていないし、いろんな人と楽しく過ごした結婚式当日のこと*1は一生の宝物だと思っています。


そんな結婚式当日のあれこれを思い出しながら楽しく読めるよい作品でした。
実際に結婚式を体験した方(とくにホテルや式場でした人)におすすめです。

19. ニシノユキヒコの恋と冒険


ニシノくん、幸彦、西野君、ユキヒコ…。姿よしセックスよし。女には一も二もなく優しく、懲りることを知らない。だけど最後には必ず去られてしまう。とめどないこの世に真実の愛を探してさまよった、男一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女が思い語る。はてしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸にせまる、傑作連作集。

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映画がよかったので読んでみましたがおもしろかったです。

映画ではほとんど語られることのなかったニシノさんの過去や人となりを知ることができたのはとても大きな収穫でしたし、読みながら映画の各シーンを思い出しながらあれこれ思いにふけってしまいました。


相手の気持ちが分かり過ぎるくらい分かってしまうし、して欲しいと思ったこともしてくれる。
そりゃモテるわーと思うしすごく理想的な人だなと思うと同時に、でもそういう理想の人物といっしょにいると結局鏡に映った自分の欲望を見ているような気分になるんじゃないかなーと。ああ、それってすごく嫌かも。

そう考えると最後にはフラれてしまうというのも何となく分かるし、理想的であり過ぎてもうまくいかないってのは難しいなと思ったのでした。


ちなみに原作を先に読んでから映画を観た人の中で「映画は、ニシノさんがなぜあんなふうに女性を求めるようになったのかが描かれてないからダメ」という人もいましたが、わたしはそうは思わなかったですね。2時間という限られた時間の中で、ニシノさんの過去まで描いてしまうのは情報過多だと思います。

あともっと言っちゃうと、そういった過去をあえて描かないことでニシノさんのもつ不思議な引力が謎めいていてよけいにその人となりや人間性により興味がもてるんじゃないかと思います。


20. 光待つ場所へ

光待つ場所へ (講談社文庫)

光待つ場所へ (講談社文庫)

大学二年の春。清水あやめには自信があった。世界を見るには感性という武器がいる。自分にはそれがある。最初の課題で描いた燃えるような桜並木も自分以上に表現できる学生はいないと思っていた。彼の作品を見るまでは(「しあわせのこみち」)。文庫書下ろし一編を含む扉の開く瞬間を描いた、五編の短編集。

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いくつか物語が重なっている短編集でしたが、すごくよかったです。
恥ずかしいのですが、平凡なわたしでも「自分は特別な人間なんだ」という自意識を抱えていたころがありましてその頃のことを思い出しながら、そういえばこんなこと考えていたなあなんて考えながら読みふけっちゃいました。

「若さゆえの愚かさ」というのは思い出すとすごく恥ずかしくなるのですが、でもそういう愚かさにまみれた時代があったからこそ得られたこともたくさんあると思います。というかそう思わないとやってられないです。こういう自意識過剰というか、こじらせてしまった時期があったことを思い出すことで、いまの若い人たちにもおおらかに接しようと思うようになりました。


5編の短編はいずれもよかったのですが、一番好きなのは「樹氷の街」。

校内の合唱コンクールでピアノを担当することになった女の子がなかなか上達せず、そのことでクラスがもめてしまい...というところから始まる物語なのですが、なんていうかたくさんの「あるある」が詰まっていて読みながら感動しちゃいました。


そしてそういった共感をおぼえる部分だけではなく、「クラスで目立たなかった子が実は...」とか「みんなが幸せになれる終わり」もすごくよくて読後感もたいへんすばらしい傑作でした。これは繰り返し読みたいです。


21. 終末のフール

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃。当初は絶望からパニックに陥った世界も、いまや平穏な小康状態にある。仙台北部の団地「ヒルズタウン」の住民たちも同様だった。彼らは余命三年という時間の中で人生を見つめ直す。家族の再生、新しい生命への希望、過去の恩讐。はたして終末を前にした人間にとっての幸福とは?今日を生きることの意味を知る物語。

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id:fujiponさんがブログで取り上げていたのを読んだらまた読みたくなったので再読しました(リンク)。

「3年後に小惑星が衝突して滅亡する」ことが予告されている終末感に満ちた世界を舞台にした作品。
仙台のとある団地に住む人たちの日常*2を住んでいる人たちそれぞれの視点から見た群像劇として描いていてこれが妙にリアリティがあっておもしろいのです。


話は変わりますが、わたしの大好きな映画で「虹の女神」という作品があります。

虹の女神 Rainbow Song [DVD]

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映画同好会に所属していたあおい(上野樹里)が、バイト先の友だちにストーカー行為を働いていた智也(市原隼人)と出会い、最初は「こいつ気持ち悪っ!!」って思ってたのにある出来事をきっかけに恋に落ちてしまう...というお話です。隠そうとしても隠しきれない好意をにじませるあおいがすごくかわいらしく、そしてそんな彼女の好意を知りつつ素直になれない智也のクソ野郎のダメっぷりが憎めなくてなんかもう最高にいい映画なんです。

この作品の中で、あおいは「THE END OF THE WORLD」という映画を撮影するのですがその主演に智也を抜擢します。

この映画はタイトルのとおり、この世の終末を舞台にした作品でして隕石衝突を一週間後に控えた世界を描いています。つまり題材は「終末のフール」とすごく似ているのですが「THE END OF THE WORLD」は実際に隕石が衝突する瞬間までを描いていて、その結末の意外性がひじょうにユニークで初見だと思わずおぉと感心としてしまいます。


「個人の死」と「世界の終わり」


死んでしまえば自分にとって世界は終わるからまったく同じものであるとも言えるけど、一方では自分が死んでも世界は続いていくから違うものだとも言えます。

「THE END OF THE WORLD」はその二つの類似性に着目して物語を構築しているのですが、逆に「終末のフール」ではその違いを際立たせる物語がたくさん詰め込まれています。その中でもとくに好きなのは「障害を抱えた子どもを育てている人が、3年後に世界が滅びることを知って子どもを残して死ぬ不安から解放される」というエピソードです。くわしくは本書を読んで欲しいのですが、世界の終わりが人を不幸にするわけではないという視点はすごくインパクトがあったし、説得力もあってつよく印象にのこっています。


あともう一点だけ。

「終末のフール」を読むといつも思うのは生きるということはきれいごとではなくみっともないことだというのはたしかにそのとおりだと思う一方で、でも自分はそういうみっともなさを避けて生きていることを嫌というほど思い知らされます。そういうみっともない姿をさらすことがすごく恥ずかしくて嫌だなと思うし、そういう姿をさらすくらいなら潔く散った方がマシだと思うくらいになぜかかっこつけてる自分に気づかされてしまい、すごく自己嫌悪に陥ります。

そういう中途半端にかっこつけていることが客観的に観たらすごくかっこわるいことなんだというのはあたまでは理解しているのですが、でもどうしても吹っ切ることができないんですよね。


こういうところが自分が大成できない一因だろうなといつも痛いくらい実感します。

*1:主に二次会以降

*2:と言っても3年後に世界が滅亡する世界なんですが