「真夏の方程式」見たよ


“手つかずの海”と呼ばれる美しい海、玻璃ヶ浦。その海底鉱物資源の開発計画の説明会に招かれた湯川は、「緑岩荘」という旅館に滞在することになった。そこで湯川は少年・恭平と出会う。恭平は親の都合で、夏休みを伯母一家が経営するこの旅館で過ごすことになったという。翌朝、港近くの堤防で男性の変死体が発見された。男は「緑岩荘」の宿泊客・塚原。事件に巻き込まれていく恭平、環境保護活動にのめりこむ旅館のひとり娘・成実、秘密を抱えた伯母夫婦。事件を巡る複雑な因縁が、次第に明らかになっていく――。

『真夏の方程式』作品情報 | cinemacafe.net


(注意) 本エントリーは作品の結末に触れている部分があるので映画未見・原作未読の方はご注意ください。


TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。
夏休み向けの大作と侮るなかれ、とてもすぐれたエンターテイメント作品として仕上がっていてひじょうにおもしろかったです。ドラマはまったくの未見なのでそのあたりの接続性というか、ドラマを観ていた人にとってよい作品となっていたのかどうかは分かりませんが、映画単体として観たら間違いなく楽しめる作品だと断言できます。

物語そのものもとてもよく練られていておもしろいし、その語り口もとても丁寧でわかりやすくてよかったです。


そして映画を観終えた後に原作も読んでみましたが、大筋ではほぼ原作に忠実な映像化であることがわかりましたが、細かい部分でいくつか違いがあることに気づきました。


真夏の方程式 (文春文庫)

真夏の方程式 (文春文庫)


とくに違うと感じたのは湯川に恭平に対する態度です。

湯川が終始いただいていた懸念、それは作中の彼の言葉を借りれば「対応を誤ればある人物の人生を大きくゆがめてしまう可能性がある」という点であり、つまり恭平が犯罪に加担させられていたことを知ったときには相応のケアをしなければならないと考えていたことがこの言葉からも分かります。

そのことは原作および映画共に同じなのですが、映画では「なるべく恭平がそのことに気づかないようにしていたけれど気づいてしまったためにケアした」のに対して、原作では最初から恭平にその事実に気づくように配慮しているように感じられました。原作の湯川は「どうせいつか気付くのだから...」というスタンスだったように読めたのですが、個人的にはその対応の方がわたしのイメージする湯川らしいと感じたし、作品の雰囲気も原作の方が好ましいと感じました。


ただし文字だと伝わりきらない部分、たとえば海の中を見るためのロケット実験のくだりなんかは圧倒的に映像による説明が分かりやすかったし、謎が徐々に解けていくさまを映像で分かりやすく伝える工夫がいくつもされていて映画の出来もよくて非常によい作品でした。セリフではなく映像で語る部分など映画というフォーマットを利用していた点もとてもよい印象を受けたし、前作「容疑者Xの献身」と同じくらいすごくよい作品でした。


探偵ガリレオシリーズの本は個人的には当たり外れが大きくて、合わない作品はとことん合わないし、好きな作品はもうすごく大好きなんですが、この「真夏の方程式」はわたしの好きなタイプに属する作品でして非常に楽しく読み終えました。トリックのユニークさが際立つ短編よりも、犯人や湯川の性格が丁寧に描かれる長編の方がすごくおもしろいと感じるしわたしは好きです。


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