「ツナグ」見たよ


“ツナグ”とは、生きている人が会いたいと望む、すでに死んでしまった人との面会を仲介する使者を表す言葉。「金ならある」と横柄な態度で亡き母親に会うことを希望する中年男性・畠田。自転車事故で死んでしまった親友に聞きたいことがある女子高生・嵐。突然失踪した恋人・キラリの安否を確かめたいサラリーマン・土谷。歩美は、実は“ツナグ”を祖母のアイ子から引き継ぐ見習いで、その過程で様々な疑問を抱く。会いたかった死者に会うことで、生きている人たちの人生は変わるのだろうか? そして死者は? その疑問は、自身の両親の不可解な死の真相へも向けられていく――。

『ツナグ』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。


既に死んでしまった人と一度だけ会う仲介をしてくれる"ツナグ"という存在を描いた作品でしたがとてもおもしろかったです。
予告があまりパッとしなかったというか、作品にただよう空気がちょっと微妙だったので観ようかどうか迷ったのですが、すごくいい作品だったし見逃さずに済んでよかったです。


さて。
本作はざっくりと設定を読むだけでも十分おもしろいのですが、割とルールが細かく決められていて、それがいくつかのエピソードの中で有効にはたらいていることに感心させられます。


ベースとなるルールは「生きている人は一度だけ死んでいる人一人に面会を依頼することができる」というシンプルなものです。

それに「死者はその依頼を断ることができる」「死者が呼ばれて会えるのは一度だけである」「会えるのは夜だけ」と言ったいくつもの小さなルールが加わって物語を形づくっています。この「死者と会える」ということを含めた作品全体の感想についてはあらためてまとめますが、まずは作中で提示されたいくつかのエピソードについて簡単にまとめます。


死んだ母に会う息子

母が末期のがんだったことを告知せずに死なせてしまったことを後悔している男性が、母の本心を知るために会うというエピソードでしたが、自分のことに置き換えながらじっと観てしまいました。

私は両親がまだ健在なので幸いにもこういった経験はありませんが、でも年齢的には両親が先に他界することになりそうなのでこれから両親との死別は経験することになるだろうと思います。そして同じ立場に自分が立ったとして、果たして自分ならどうするだろうかと考えてしまうのは自然なことだと思うのですが、正解はないだけに考えれば考えるほど泥沼におちいってしまいました。

ただ、このようなずいぶんと前に亡くなってしまった人との再会については、死んでから経過した時間がクッションとなって結局いいところに落ち着くのが最初から見えてしまうのです。この作品のエピソードの中では、ツナグを利用したことでもっともハッピーになれた話だったかなと思います。


ケンカしたまま死別してしまった友だちにあう女子校生

仲良しだった橋本愛大野いとが、演劇部の役を巡ってケンカをしてしまうのですが、ある夕方に愛ちゃんが仕返しにあることをしたその日にいとちゃんが交通事故で死亡してしまいます。果たしていとちゃんが死んだのは、愛ちゃんのせいなのかどうか。もし愛ちゃんがやったことがいとちゃんの死亡の原因だったとすれば、いつかツナグを介してそのことがばらされてしまうかも知れないんだけど....というお話ですが、ここで前述の「死んだ人は一度しか生きている人と会えない」というサブルールがグッと活きてきます。


果たしていとちゃんは愛ちゃんと会うのかどうか、会ったとしてどういう会話をするのかという部分や、このエピソードの結末も含めてかなりおもしろくまとめられていました。


「ツナグを介して死者と会うことは決していいことばかりではない」という部分が非常にうまく提示されていたのではないかと感心しました。このエピソードはとてもよかったです。


突然いなくなった元婚約者に会う男性


佐藤隆太が道端で怪我をした桐谷美鈴を拾って持ち帰ったら、いつの間にか仲良くなって好きになったのでプロポーズしたらOK!でもある日突然桐谷さんがいなくなってしまったというお話。果たして彼女は生きて今どこかにいるのか、それともどこかで死んでしまったのかそれすら分からないために彼女に固執してしまって前に進めずにいる佐藤隆太が女々しく描かれていたのですが、これもまたおもしろい。


ことの大小の違いはあれど、偶然をきっかけに幸せを手にすることやその手にしたはずの幸せが崩れ去ってしまうということは誰もが一度は経験していることだと思います。本エピソードはそのような人生に大きく影を落とすような出来事をうまく配置していて物語にうまく抑揚を与えていたし、ウソのような話をあえて盛り込むことで物語にリアリティがもちこまれていたように感じられました。

すごいうまい!と感心しちゃいましたが、このエピソードでは佐藤隆太がツナグを介して彼女の死を知り、そしてそれを受け止めることで前に進む気持ちになれたわけですからこれもツナグがよい方向に役立ったケースであると言えます。

      • -

どのエピソードも主張したいことがいろいろと違っていて、それぞれにおもしろさがあったわけですが個人的には橋本愛ちゃんと大野いとちゃんのエピソードがすごく心にのしかかってくるのが感じられてよかったです。似たような経験をしているからかも知れませんが、自らの行動が取り返しのつかないことに結びついてしまったときの絶望の深さがとても伝わってきました。



話を映画全体の感想に戻しますが、「人は二度死ぬ」とよく言われます。

一度目は息を引き取るとき、そして二度目はすべての人の記憶から消えたとき。

たしか映画「パーマネント野ばら」でもそんな言葉が出てきたと記憶していますが(あやふや)、「死んで肉体が無くなってしまうことが即この世から消滅してしまうわけではない」という主張にはどこか救われたような気分になりました。

そしてこの作品が提示しているのは「死んだとしても、自分に会いたいと思う人がいるかぎりは決して消えてしまうことはない」というこの考えであり、まさに肉体が失われても誰かの記憶にあるかぎりは完全な死ではないという価値観で構成された世界だったのです。

宗教戦争は勘弁願いたいので論じるつもりはありませんが、わたしは人間に限らず生きているものが死んだらすべて無に帰すと思っています。天国とか地獄とかあの世と呼ばれるものはいっさいないと思っているわけですが、でも頭ではそう思っていてもそれをスッと受け止められるのか?というとそうだと素直に言えません。


そしてそう素直に言えない理由はすごくシンプルで要は寂しいんですよね。


理屈ではあの世なんてないんだと思っていても、心のどこかではこの作品で描かれているような「誰かの記憶にあるかぎりは生きていられる世界」を求めていたりするわけです。死を題材にしているだけにとても悲しい話が多かったけど、でも死んだ人にたった一度でもまた会える世界ってすごくうらやましいなと思ったし、もしかしたら本当にこの世界にもツナグがいるんじゃないかなと思いたくなりました(単なる希望的観測なんですけどね)。


そして映画を観終えたら原作を読みたくなったので、いま読んでる別の本を読み終えたらさっそく読んでみます。


ツナグ (新潮文庫)

ツナグ (新潮文庫)


映画を観終えてすぐに買っちゃいました。


(関連リンク)


公式サイトはこちら