「オンナを降りない女たち オトコを降りる男たち」読んだよ

オンナを降りない女たち オトコを降りる男たち (新潮文庫)

オンナを降りない女たち オトコを降りる男たち (新潮文庫)

出産しようと中年になろうとキレイなままの「美魔女」たち。バブル時代に青春を謳歌し、「恋愛至上主義」が蔓延るなかで大人になった彼女らは“年相応に老いる”ことさえ拒むのか。降りようにも降りられない「オンナ」という道はいったいどこへと至るのか。それを見る男たちの本音とは?男女の心と体の深淵を追求し続けてきたルポライターによる、これ以上ない赤裸々なレポート。

http://www.amazon.co.jp/dp/4101294550

何となくおもしろそうだなと思って手に取ったのですが、首肯できない主張も多かったもののとても興味深い内容でしたし、異性の実情に疎い私にとっては得るものも多いおもしろい作品でした。


以前からわたしがずっと知りたいと思っていたことの一つに「夫婦はいつまでセックスをするのか?」ということがあります。

そもそもセックスは生殖行動であるはずなので、子どもを作りたくなったり年齢的に作ることがむずかしくなったのであればしなくていいことのはずなのですが、欲求自体がここで途絶えるという明確な境目はないように見受けられます。少なくとも年齢で区切れるものではなさそうな気がしたのですが、ひとまずおおよその年齢で区切るとすれば「男女ともに40歳くらいまでは普通にするのかな」なんて漠然と思っていました。具体的な根拠はなかったのですが、なんとなくですね。


最近はセックスレスという言葉も普通に目にするようになってきて、それこそ30代になったらもうしないよねみたいな空気もあったりするのですが、その割に40代後半から50代半ばくらいの人が不倫をしているという話もチラチラと聞こえてくることもありまして、じゃあ40歳っていう自分の予想は違うのかななんて思ったりもして、その実情がとても気になっていました。


本書にもその答えがずばりと書いているわけではないのですが、そのいくつかの事例が数値を挙げて書かれていてなるほどそういうものかと感心しながら読みました。


本書は主に女性の意見が載せられていましたが、40歳どころか50歳を過ぎてもなお性生活がお盛んな様子がうかがえまして、そんなに著者の年齢に近しい人を選んでいることによる偏りはあると思われるものの女性は50歳を過ぎても性欲自体がなくなることはないということがよくわかりました。


そして一番おどろいたのはその相手が配偶者であることはほとんどないということなんですよね...。
出会い系だったり、パート先の相手だったりさまざまですが、夫とすると話はほとんど出てこないんですよ。もちろん本にするうえでおもしろそうな事例を選んでいるのでしょうし、不倫や浮気が一般的なことだとはさすがに思わないのですがこの本を読んでたらいつのまにかものすごくナーバスになってしまいました。


話は少し変わりますが、私の大好きな小説のひとつに宮本輝さんが書かれている「流転の海」というシリーズ作品があります。

頭が異常にキレて度胸もあったおかげで戦前に一代で巨大な財を成した松坂熊吾という男性の生涯を描いた作品でして、実在の人を描いているんじゃないかと思ってしまうようなすごい作品です。何度読み返したのか分からないくらい読み返しているのですが、このシリーズの中で印象に残っている一節があります。

シリーズ3冊目の「血脈の火」で、熊吾の近所に住んでいたある夫婦が夫婦げんかの末に船に火を付けて夫が焼け死んでしまうというシーンがあります。熊吾から見ればその夫婦は貧しいながらもいっしょになかよく働き、そして仲良く暮らしていると思っていたのですが、実は妻は性質のわるい男と浮気をしていてその男に入れあげた妻が足の悪い夫が逃げられないことを承知の上で火を付けたということを後日知ることになるのです。

「そうか、亭主の邪推じゃなかったのか。ほんまに男がおったとはのお。あの女にかぎってと思い込んだわしは、たしかにええ歳をして、まだまだ人間が甘いのお。その点に関しては、お前のご指摘のとおりじゃ」
「女のなかの火薬は、いつどんなふうに爆発しよるかわからへん」
「あの朗らかで働き者の女がのお...」


「血脈の火」538ページ


当然人は見た目だけでは分からないというのは当たり前の話だとは思うのですが、はた目には夫といっしょに仕事に励んでなかよく暮らしているようにしか見えなかった女性が、実は外に男を作っていたというのは割とショックな話だったのでよくおぼえているし、熊吾が*1そのことを「女のなかの火薬が爆発した」という言葉で表現していたために、女性は誰もが先天的にそういった部分を持ち合わせているんじゃないかと思ったことをいまだに忘れられずにいます。


世の中には、一見貞淑に見えた女性が実は...という展開に興奮する人もいるかと思いますが、わたしはこういうの苦手ですね...。
私は昔から本当にモテなくて女性と関わることが極端に少なかったのですが、そのせいか変に神聖化してしまっている部分があってこういう真面目そうな女性が浮気しちゃったという話を聞くと落ち込んでしまうし、だからこそ、この話のような女性には本質的に堕ちていく可能性を秘めているみたいなことを言われるとちょっとグッと煮え湯を飲まされたような気分になってしまいます。


と、ここまで書いて「恋の罪」がなぜあそこまで自分に響いたのかがやっとわかった気がします。


話を本書に戻すと、世の中にはオンナであることをさっさと放棄したいと願う人がいる一方で、いつまでもオンナであることを捨てられない人もいて、後者の生き方というのはいつまでも過去をひきずる生き方であってなかなかしんどいなと読んでて思いました。そして「血脈の火」で描かれていた夫となかよく過ごしているように見えながらも浮気をしてしまう女性というのは、いつまでもオンナであることを捨てきれない後者のような女性なのかなと思ったのです。


生き方としてどっちがいいとか悪いということではなくてあくまで生き方の選択でしかないんですが、この本を読んでいたらその生き方について想いを馳せずにはいられなくなりました。


(関連リンク)

*1:実際には別の人が熊吾にそう伝えたんだけど