「ドラえもん のび太の海底鬼岩城」見たよ

物語はのび太としずかが山へ、ジャイアンスネ夫が海へ行きたいと議論するところから始まる(映画では逆)。結局ドラえもんの提案で海底山へ行くこととなる。海底山キャンプに出かけたのび太たちは、そこで海底人のエルたちに出会った。

そしてのび太たちは、海底火山の活動の影響で、数千年前に滅亡した帝国アトランティスに残された自動報復装置ポセイドンが活動を再開したことを知る。鬼角弾が発射されれば海底ばかりか全地球上に甚大な被害が及ぶという。

ドラえもん のび太の海底鬼岩城 - Wikipedia

今年の春先にインフルエンザにり患したのですが、いっしょにかかっていたハホ*1といっしょにずっとこのDVDを観ていました。繰り返し、繰り返し観まして、おそらく10回は見たんじゃないかと思うのですが何度観ても飽きがこない、まさしく傑作といえる作品でした。

一度観てはハホとどのシーンがよかったのかを言い合い、言いたいだけ言い終えるとまた最初から再生してじっと見入るという調子でして、もう狂ったように何度もこの作品を見ているうちに、ふと自分がハホくらいの年齢の頃のことを思い出してしまいました。


小学生の頃。

わたしはドラえもんが大好きで、小遣いやお年玉で単行本を買い漁っては毎日それを読んで過ごしていました。その中でもとくに好きだったのが大長編シリーズでして、特に1巻から5巻にあたる「のび太の恐竜」「のび太の宇宙開拓史」「のび太の大魔境」「のび太の海底鬼岩城」「のび太の魔界大冒険」は何度も何度も繰り返し読んだ記憶があります。


おそらく読んだ時の年齢(小学校低学年)も大きく影響しているのでしょうが、上述した初期の大長編作品が与えてくれる冒険気分というのは以降の作品と比べても圧倒的に強烈であると思っています。


もう二度と住んでいた世界に戻れないんじゃないかという緊張感。


フィクションなんだし、ドラえもんという長く続くマンガの世界で元の世界に戻れなくなるなんて話があるわけないというのは子どもながらに分かっているのですが、それでもやはりもしかしたら戻れないんじゃないかと思わずにはいられないあのヒリヒリする緊張感に息苦しささえおぼえそうな冒険譚に心酔してしまったのです。

極度に高い緊張感は子どもには怖いモノとして映ってしまうのではないかと大人は思ってしまうかも知れませんが、思い返せば子どもの頃って危険そうなものにこそ惹かれるということだってあったわけで、大長編で描かれる冒険話の絶妙な加減には感心せずにはいられません。

そしてこの緊張感こそが、いまのドラえもんの映画にはないものであって、私自身の成長を差し引いてもおもしろいと思えないのはそういった冒険要素が足りなくなったことが一因なんじゃないかと感じました。


さて。
何だか興奮し過ぎていろいろと書いてしまいましたが、本作「のび太の海底鬼岩城」は夏休みのバカンスとして訪れた太平洋の海底を舞台にした冒険譚ですが、バミューダトライアングルマリアナ海溝といった実在するトピックをベースにさまざまなショートストーリーがいくつも散りばめられていて、現実とフィクションをつなぐ懸け橋として使われていました。


バギーちゃんや鬼岩城への冒険といった冒険譚それ自体もたいへんおもしろいのですが、上述のような工夫のおかげで作品の中の世界と現実の世界がリンクして感じられてよりリアリティをもって冒険に没入できたことがもっとも大きいのではないかと感じています。


私は昔から海洋生物や海(特に海溝)が大好きなのですが、この作品を観ながらおそらくこの海底鬼岩城を見た影響が大きかったんだろうなと実感しました。

*1:長女