「アメイジング・スパイダーマン」見たよ


幼い頃、両親に捨てられ叔父と叔母とともに普通の生活を送っていたピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)。だがある日、科学者であった父のブリーフケースを発見したことから、両親の隠された過去を追い始める。父のパートナーであったコナーズ博士の下を訪ねたことをきっかけに、ピーターは自身の過酷な運命に気づくのだが――。

『アメイジング・スパイダーマン』作品情報 | cinemacafe.net


TOHOシネマズ宇都宮で3D字幕版を見てきました。


サム・ライミ監督版の作品は全部未見ですので、そちらのシリーズとは比較できませんが予告を観て期待して以上によかったです。ストーリーはパーカーのへっぽこさにハラハラさせられたかと思えば、逆にその能力をいかんなく発揮してみせて盛り上がったりと、抑揚の付け方がとてもうまくて心休まる暇がないといった感じで感情をぐるんぐるんと振り回されてしまいました。

対して、ストーリーの内容そのものはとても簡潔ですんなりと飲み込めるボリュームに収まっていて、アクションを楽しむためのストーリーといった印象を受けました。潔くてよかったです。


さらにキャストにはエマ・ストーンを始め私の好きな人ばかりがそろっていて、観ていてなんかもうすごい幸せな気分になってきてニヤニヤしっぱなしの2時間でした。エマ・ストーンかわいい!


ただ、3D映像については正直微妙なところでして、悪くはなかったけど3Dじゃなければ...というほどでもないというのが率直な感想でした。IMAXで観たらまた違うのかも知れませんが、とりあえず3D+字幕で観ていたら大層目が疲れ果ててしまいまして、後半は字幕を読まないで観たのでした。

これだけ分かりやすいと全然聞き取れなくても余裕で楽しめました*1


さて。
この作品に限った話ではないのですが、「アイアンマン」や「キャプテンアメリカ」といったアメコミ原作の映画を観ていつもおどろかされるのは、こういった作品の主人公であるヒーローになる人はいわゆる普通の人だということです。
なんて、トニー・スターク(アイアンマンになる兵器開発会社の社長)を普通の人呼ばわりするのはいささか気が引けますし、本気のファンにはグーで殴られそうなのですが、でも人間という枠に収まる程度の能力しか有していなかったという意味ではやはり元は普通の人間なんですよね(もちろんすごい天才ですけど)。


そういった普通の人たちが、ある出来事や行為をきっかけに飛躍的な力を手に入れて巨大な敵と戦うというのがお決まりなんですが、これがもう盛り上がるんですよね。どれだけ展開がそうなるのだと分かっていてもあがるテンションを止めることなんてできないし、実際にこの作品もそんな流れで話は進んでいくのでやはり興奮しっぱなしで観ていたのですが、ふとこの作品のあるシーンを観たときに「普通の人間とヒーローの違いってそういった能力の有無だけなのかな?」という考えが頭をよぎったのです。

もちろん能力の有無が一番大きいのはそうなんですが、他にも「これだ!」という要因があるんじゃないかなと。


話は少し変わりますが、自分の身の回りで起きている多くのことは自分の行動に起因して起きていることだと思いがちですが、実際には自分以外の人の行動や発言、さらにはそれによって正直発生したさまざまな出来事が絡み合っていたりするわけです。極端な例を出せば、バタフライエフェクトというのが言いたいことに近いのですが、つまり身の回りで起きることすべてを自分自身でコントロールすることは出来ないし、それらすべてに対して責任を取ることなんてなおさらできないのです。


だけど、もし「身の回りで起きたことすべてを自身の行為の結果として受け止めて責任をとれる人」がいたとしたら、わたしはその人こそがヒーローと呼べる人なんじゃないかなと思ったのです。


そういう意味では、本作でパーカーがヒーローたる力を得たのは「クモに刺された時」ではなく「自身の行為のせいで養父の命が奪われてしまってそのことを心から後悔した時」じゃないかなと。養父が殺されたときだって、殺した犯人にすべての責任を負わせて自分のせいではないと割り切ることだって出来たはずですが、彼は自らの行為のせいであると考えてその責任を取ろうと犯人捜しを始めるわけです(そういえば養父を殺した犯人って捕まりましたっけ?)。ここがまさにパーカーにとってのターニングポイントであったと思うわけですが、この彼が決意した瞬間がとてもよかったです。


いままで何となく抱いていた「ヒーローと人間の違い」について、この作品のおかげで自分なりに納得できる答えが見つかったような気がしました。



(おすすめエントリー)


公式サイトはこちら

*1:という自慢にならない自慢