「カンパニー・メン」見たよ


ボビー(ベン・アフレック)は、ボストンに本社を構える総合企業の販売部長として、毎日必死で働いてきた。だがある日、突然リストラを宣告されてしまい、再スタートの道を模索することに。そんなボビーに突きつけられた現実は厳しく、無常にも時間ばかりが過ぎていく…。リストラをきっかけに、仕事とは何か、家族とは何か、自分の人生にとっていちばん大切なものは何なのか見つめなおし始めたボビー。そして、より人間らしく生きるための価値観を見つけ始め…。

『カンパニー・メン』作品情報 | cinemacafe.net

チネチッタにて。


大抵の人は、物心ついた時から当たり前のようにどこかの組織やコミュニティに所属しています。
幼い頃は保育園や幼稚園で過ごし、その後は義務教育を受けるために小学・中学に入り、その後高校や大学へと進学して卒業したら会社に入る。そうやってその時々でもっともよい組織や共同体に所属して生きているわけですが、この「どこかに所属する」という行為は、あまりに当たり前のこと過ぎて普段は所属していることすらさほど意識しなかったりします。


わたしは学校も会社も辞めたことがないので何かに所属していない時期というのがまったく経験がないのですが、ないが故に組織から切り離されて個人として社会と向き合うことに対してとても恐怖心を抱いています。あって当たり前だと思っていたものほど失ったときに受ける影響は大きいだろうなと想像しちゃいますし、もともと帰属意識がつよい方ではないつもりでしたが、でもいざどこにも属していない状況というものを想像するとそれはちょっと辛そうだなーという意外な自分の一面を見つけたような気がします。


思うに、個人が組織やコミュニティに所属している場合にはそこが社会とのもっとも大きな接点となることが多いですし、つまりは社会生活を行う上での土台というか足場にもなっているんじゃないかなと。初めて会う人と話すときには、どこの学校に行ってるとかどこの地域に住んでいるとかどこの会社で働いているっていう会話はよくされますが、それは相手がどこに属している人間なのかが分かれば、その人のざっくりとしたバックボーンを知ることができるからなんですよね。信頼のある組織に属している人間は、その組織の信頼を利用することで自らの信用を他者に示せると考えると、そういった組織に所属したいと願う気持ちも分かるような気がします。


本作「カンパニー・メン」は大企業で働いていたさまざまな立場にいる人たちが、経営難を理由に会社組織から切り捨てられたのちに新たな人生を踏み出すまでの物語ですが、雇われの身で生きる一人の人間としてとても腑に落ちるというか共感できるとてもよい作品でした。


冒頭、朝からゴルフで好スコアを出してご機嫌のボビーは、経営難による人員整理を理由に突如会社からクビを言い渡されます。精いっぱいの抵抗を試みるものの諦めて荷物の整理をするボビー。
長年働き続けてきたはずなのですが、デスクの荷物を片付けると小さな段ボールひとつ分しか荷物は残らなかったのです。その段ボールをもって立ちすくむボビーの姿を観た時に、わたしは不意にボビーが骨壺を持って立っているように見えたんですね。
それを見た時に「今まで当たり前のように組織に属していた人にとって、組織から切り離されることは死ぬことと同じなんじゃないか」とそんなふうに考えてしまったのです。つまり会社をクビになることは(社会的な)死であることをつよくこのシーンから印象付けられたのです。


大げさかも知れませんが、でも属してしか生きてこなかった自分から見ればそうとしか言えないんですよね。
何かに寄り添って生きることは、寄り添った相手次第で自分の生き方が決められてしまうというリスクをはらんでいることは重々承知しているのですが、でもそれしかできないんですよ...。


そんなぬるい考えで生きてきた私が、「自分の立場もわきまえないで仕事をえり好みしたり、お金もないのにゴルフに行こうとするボビー」に腹を立てるのは何となく間違っているのは分かっていますが、でもこれって結局は自己嫌悪なんですよ。ボビーに自分のいやな部分を投影してそのふがいなさに腹を立ててるんです。


だからこそ、ボビーが義兄の仕事を手伝ってまで家族を養おうとするシーンはすごくグッときたし、あのラストを観て自分ももっとできるかも知れないと本当にうれしく感じました。


おれもボビーみたいにがんばる!


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