「東京公園」見たよ


カメラマン志望の光司(三浦春馬)は公園で、家族写真を撮っていたある日、ひとりの男性から「彼女を尾行して、写真を撮って欲しい」と頼まれる。理由もわからないままに依頼を引き受けたが、このことをきっかけに光司は周りに居る女性たちと深く向き合うことになる。一緒に居るのがあたりまえと思っていた、幼なじみの富永(榮倉奈々)や、親の再婚で義理の姉となった美咲(小西真奈美)、そして、記憶の中の“誰か”に似ているファインダー越しの女性(井川遥)。そして、次第に彼自身も変わりはじめていく――。

『東京公園』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


風光明媚な都内各所の公園風景の美しさと、誰もがもっている「執着」という醜くも悲しい性が対照的に描かれたユニークな作品でした。
正直、観終わったときにはあまりおもしろかったなとは感じなかったのですが、観終えて数日経ってから思い返してみるといろいろと気付きのある作品でして、実はこれものすごくいい作品なんじゃないかという気がしてきたわたしはしばらくこの作品について、あれこれ思いを巡らすことを止めることが出来ませんでした。
良くも悪くもこんなふうに鑑賞後も後を引く作品を最近は観ることができていなかったので、そういう意味ではとても印象に残りました。


本作を観て「そういえば最近なにかに執着することがものすごく減ったな」というわたし自身の変化について考えさせられました。


以前のわたしは諦めが悪い性格と申しますか、いやな言い方をすれば結構しつこい性格でして、自分に関わるさまざまな物事に執着してしまいがちでした。好きな人に執着し、好きなモノにも執着し、来るものを拒んでまでも去るものを追い続けるような、そんなところがありました。
ところが、最近は何かに執着することがあまりなくなっていて、例えばずっと目標にしていた人と仲たがいしてしまったときにもあっさりと見限ってしまったというか心が離れてしまったし、ずっと手元に置いておきたいと思っていた本もあっさりと誰かに譲ったりするようになってしまいました。
もちろん、それらにまったく興味がなくなってしまったわけではありませんが、どうしても同じ方向をみて一緒に歩きたいとか、自分の手元に置いておきたいとか思わなくなったようなのです。前のわたしだったら、理由なんて後付けでもいいからとにかく自分とのかかわりを断たないように執着していたはずなのになあ...。


こんなふうに変わってしまった理由について考えてみましたが、ひとつはいまとても満たされた状態なので何かに固執する必要性を感じていないということと、もうひとつは執着しようがしまいが離れていくものをつなぎとめることはできないことがわかったからというふたつの理由が思い当たりました。
ただ、一度手にしてしまったからこそ手放したくなくて執着するというケースもあるわけで、実際どういう理由なのかはいまのところよくわかってないですし、きっと一生分からないような気がします。


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