「幸せの始まりは」見たよ


プロソフトボール選手のリサ・ジョーゲソン(リース・ウィザースプーン)とある会社の幹部、さらにメジャーリーグピッチャーとの三角関係を描いたラブコメディ。監督は人気海外アニメ「シンプソンズ」の製作総指揮、ジェームズ・L・ブルックス

『幸せの始まりは』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


男二人と女一人の三角関係を描いた何て事のないラブストーリー....と思いきや、これがすごくよい作品でした。
自分の気持ちを正しく相手に伝えることがいかに難しいことなのかがよく伝わってきたし、ではどういう言葉であれば相手にしっかりと伝わるのかということに対する答えもきっちりと織り込まれた折り目正しい内容でした。冒頭はだるくてつまんない話になりそうだなーとうんざりしていたのですが、リサの心境に共振して揺れ動く展開が続く中盤以降はかなり見入ってしまいました。


本作を観てつよく感じたのは「想いを伝えることのむずかしさ」です。
自分が感じたり思いついたことを他人に伝えようとしたときに、ただ伝えるだけのことがなぜこんなにも難しいのかと感じたことがある人は決して少なくないと思います。何度話しても相手に伝わらないもどかしさ、どんなに弁解してもぬぐいきれない誤解。周囲を見渡してみると、そういった小さな齟齬が日常のあちこちに転がっていることに気付きます。


どうしたらうまく伝えられるのか?
どうやったら誤解無く相手に伝えられるのか?


そんなことを毎日考えていた3年ほど前に読んだ「御社の「売り」を小学5年生に15秒で説明できますか? 」という本の中で、こんなセンテンスがありました。

御社の「売り」を小学5年生に15秒で説明できますか? (祥伝社新書 99)

御社の「売り」を小学5年生に15秒で説明できますか? (祥伝社新書 99)

メッセージを考える上で、やってしまいがちなことに、手っ取り早く他社のメッセージを模倣してしまうことがあります。参考にするのならまだしも、メッセージの文言を入れ替えただけで、お手本にするメッセージとほとんど一緒のようなものを作ってしまうことが多いのです。
(中略)
ただの猿まねがうまくいかない理由はいろいろと考えられますが、私はひとえに「お客の感覚を過小評価した結果」だと思っています。もっとストレートに言うと「人の感覚をなめるな」ということです。

わたしは何かやり取りをつつがなくこなそうと考えたときに、事例や模範解答を参考にしようとしてしまいます。
お世話になった人への礼状やお礼メールを書く時にはネットでビジネスマナーの情報を集めてサンプルを参考にするし、就職・転職活動の面接対策には必ずと言っていいほどその手の本に目を通します。
こういう方法が悪いとは言いませんが、このやり方で作った言葉と言うのはまさに「猿まねで作った言葉」に他ならないのです。
"正しい受け答え"というのは、言い換えれば"誰にも嫌な印象を与えずに済む受け答え"なんですよね。つまりは相手に印象を残さないだけ。
もちろん最低限のマナーというものもありますので、まねがすべて悪いとは決して思いませんが、そういう「誰にも伝わらない受け答え」を模倣するだけで他人に何かを伝えようというのはものすごく甘い考えだし矛盾してるよねということをこの本を読んでて気づかされたのです。


何かを本気で他者に伝えたいのであれば、その伝えたい人以外には「伝わらない覚悟」/「誤解される覚悟」/「傷つける覚悟」をもって、その特定の人にだけは絶対ん伝わるように努力を惜しまずに伝えようとしないといけないと思うわけです。


話を映画に戻して、本作で印象に残ったのは不器用ながらも自分を伝えようとする人のもがく姿。
かっこわるいかったり、スマートじゃないなーと感じたりするけれど、本気で相手に伝えたいと思うからこそ伝わるものがあるということが感じられてグッときました。


本当に伝えたいことは、本やネットを参考にせずに不器用でかっこ悪くてもいいから自分の言葉で精いっぱい伝えるべき。
そんなことが自然と伝わってくる作品でした。


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