「月の輝く夜に」見たよ

7年前に夫を事故で失ったロレッタ(シェール)は37歳になったが、いまだに独身。そんなある日、友人のジョニー(ダニー・アイエロ)から結婚を申し込まれた。ロレッタはプロポーズを受け入れた。式は1カ月後、ジョニーは危篤の母に報告すべく故郷のシシリーへと飛んだ。ロレッタは父のコスモ(ヴィンセント・ガーディニア)と母のローズ(オリンピア・デュカキス)にそのことを伝えるが、2人は快く祝福はしてくれない。

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TOHOシネマズ宇都宮にて。第二回午前十時の映画祭にて鑑賞(1本目)


月明かりにはいわく言葉にしがたい力があるように感じますし、そう感じる人は決して少なくないのではないかと思っています。
例えば、ドラえもんの大長編である「のび太の魔界大冒険」では、石にされたのび太ドラえもんが月の光を浴びた時だけ魔法が解けて動けるようになるシーンがありますし、月光を浴びると狼になる狼男(あれはたしか満月限定ですが)というのも小説や映画などではおなじみの存在です。


これに対して、太陽は光が強すぎるためかどちらかというと浄化のイメージがすごく強いです。日の光に当たると燃え尽きてしまうヴァンパイアに象徴されるとおり、汚物は消毒だ!!と言わんばかりに燃やし尽くしてしまうようなそんな力を想起させられます。
そう考えると、青白さに特徴づけられる月の光の儚さ、ささやかさが、不思議な魅力を感じさせるんだろうなと思います。


そんな特別な力を持っていそうな月の光に期待される力は一体何なのか?と考えてみると、「本当の姿を映し出す力」ではないかと私は思います。


当たり前の話なのですが、人が目を通して情報を得るということは、物体に当たった光をその物体が反射し、その反射した光を目が受け取って解析することです。その結果、対象となる物体を「見る」ことが出来るようになるのです。つまり、光のないところでは何も見ることが出来ないのです。
この「見る」という行為についてもう少し抽象的なレベルに持ち上げて考えてみると、「普段は隠されていて見えない本当の姿」というものがあると仮定すれば、「それを見るための光」というものもあっていいんじゃないかと思うし、それこそが月の光に期待される力だと思うわけです。
# たしかにあの光の美しさは何か力がありそうですが、でも月光期待され過ぎじゃ...とも思います


本作が主張するのは、長く一緒にいる人には自分にとって月でいてくれるような人を選ぶべきだという主張であり、それについてはわたしもそのとおりだなと感じました。一時的な関係に終わる人であれば、お互いにいいところだけを見せられるように努力していればよいのですが、逆に長く付き合うためには常に自然体であるがままの自分を許してくれる人でなければ到底続きません。
本当の自分をさらけ出させてくれる人、つまり自分にとって月であるような人を友として、伴侶として選べたらすごく幸せな事だなと強く共感を覚えました。


そういえば、本作には「バーレスク」でいい歌声を披露していたシェールと、「キック・アス」でビッグ・ダディとして活躍していたニコラス・ケイジが出ていたのですが、シェールの変わらなさとニコラス・ケイジの若さにびっくりしました。


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