「伸びる30代は、20代の頃より叱られる」読んだよ

伸びる30代は、20代の頃より叱られる

伸びる30代は、20代の頃より叱られる

20代は、とにかくよく叱られた。伸びる30代は、ますます叱られる。30代で体験すべき、たった2つのこと。

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今の会社で働き始めて9年になるのですが、さすがにこれだけ長く働いているとあまり怒られることがなくなってきました。
客観的な事実から推測すると、長期的に担当している業務についてはかなり精通出来ているということと、今までの積み重ねから周囲からそれなりに信頼してもらえているということ、あとは大体のことは一度は経験しているので初めてやることが減って大きなミスをしなくなったということがその理由かなと思っています。
会社に入りたての頃は、それこそ一言発するたびに怒られたりダメだしされたりしていたわけで、その頃に比べたら今はすごく仕事がやりやすいと感じています。いちいち怒られてたらやりにくいし、怒られないということは失敗をしていないことだからいいことだと思っていたんですよね。
ところが、本書のタイトルはそういったわたしの考えを根っこから否定するものでして、一体これはどういうことなのかと手が震えそうになるのをなだめながら本棚から取り出して買ってきたのです。


本書が主張するのは「怒られないことはよいことではない」ということです。
これをもう少し噛み砕くと「怒られないことは挑戦していない」と同義であるという主張でもあり、それについてはなるほどと首肯させられました。


慣れた仕事を同じ手順で続ける限り、そのやり方や作業効率について怒られることはまずありません。そこそこの結果を残せるし、その仕事をしている人も間違いなく楽に業務を遂行できるという点において、怒られないように振る舞うことはとても正しいことのように感じられます。
ところが、ルーチンワークをするならともかく、定型ではない仕事についてはいつも同じようにその仕事をこなしているつもりでも、実際に毎回まったく同じ仕事をしているわけではありません。仕事の内容やそれを取り巻く環境、もしくは作業をする自分自身のステータスもその時その時で変わるのです。


以前、森絵都さんの著書で「アーモンド入りチョコレートのワルツ」という短編集を読んだことがります。その本に描かれている短編はいずれも「繰り返される日常も実は少しずつ変わっているんだ」という主張が練り込まれていて、そこにとてもつよい説得力を感じました。もうあまりに好き過ぎて3往復くらい読んだのですが、結局「日常において完全に同じことなどひとつもない」という本書の主張を素直に受け止めれば、同じことを繰り返して(繰り返すというよりも繰り返そうとすることかな)やり過ごそうとすることは決して正しいことではないと言えると思います。


話がちょっとずれちゃいましたが、結局は「30代になっても怒られるくらいいろんなことに挑戦しろよ」ということでして、たしかに最近守りに入りがちなところがあったわたしには耳の痛い内容でした。


それで、本書の一番いいところを挙げておきたいのですが、それは内容そのものもすごくよいのですが何よりも構成がすごくわかりやすくていいのです。具体的に言うと、すべての小見出しが「伸びる30代は○○。沈む30代は××。」(しかも○○と××はきれいに対比表現となっている)というフォーマットに統一されているところがよかったです。
ただ、このフォーマットにこだわり過ぎたせいか、後半は大喜利みたいになってしまって無理やりっぽさを感じなかったと言えば嘘になるのですが、それでも読みやすさを高めるための工夫としては非常に有効的な手法だったと思うし、もしわたしが本を書くことがあれば*1ぜひ参考にしたいなと感じました。


叱られる30代か...。
むやみに叱られるのは嫌ですが、楽しく仕事をするために必要なことだと考えればそれも悪くないかもなー。


(関連リンク)

*1:あと100年くらい生きれば何か書けそうな気がします