「カティンの森」見たよ


1939年9月、ドイツ軍とソ連軍に侵攻されたポーランド。1万5千人のポーランド人将校が忽然と行方不明になった。そして1943年春、カティンで数千人の遺体が発見され、「カティンの森」事件が明らかとなる――。それから半世紀もの間、ポーランドで語ることを厳しく禁じられていたこの事件の真実を、ソ連の捕虜となったポーランド将校たちの姿と、彼らの帰還を待つ家族たちの姿を通して描く。第80回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。

『カティンの森』作品情報 | cinemacafe.net

宇都宮ヒカリ座にて。


年を重ねるに連れて、わたしは日常をより過ごしやすくする術を身に付けてきました。
他人との間に摩擦を起こさないように気を付けるとか、多少不都合なことや嫌なことがあっても我慢してやり過ごすとか、そういったささやかなことを積み重ねて、自らを取り巻く日常全体を最適化することでストレスが最少になるような環境を作り上げてきました。ひとつひとつの出来事に自らの信念をぶつけて立ち向かうとか我をとおすようなことはほとんどしませんでしたが、それは部分最適の積み重ねが全体最適にはならないと信じているからです。
常に身の回りとこれからについて思い描き、それに沿った結果を得られるような立ち振る舞いを心掛けています。


こんなわたしの考え方が影響したのかどうかわかりませんが、本作を観ていて感じた最初の感情はいらだちでした。
捕虜の身となった将校たちが「誓いを立てたから」というたったそれだけの理由から逃げもせずに囚われの身であることに甘んじている(ように見える)ことや、たった一ヵ所にサインをすればいいだけなのにサインをすることが自らの信念に反するからとそれを断り面倒な事態になってしまった女性、そして履歴書のちょっとした言い回しを直せばスムーズに試験を受けられるのにそれを信念から断る学生などなど、いずれも細かいこと*1にこだわらずに生きやすいように立ち回れば楽にやり過ごせるようなことばかりなのにそうはしないことに言いようのないイライラを感じたのです。
何でこんなにめんどくさい生き方を選ぶのだと思ったし、そんな人たちの心理や考え、そうする理由がわたしには分からなくてとても不愉快だったのです。


ところが、物語が進むに連れていかに自分の考えが平和ボケしたものなのかを思い知らされることになります。
もめるのが嫌だからと相手の言いなりになることがどれだけ危険な時代だったのか、強い信念をもたずにその場その場で対応でやり過ごすことがどれだけ愚かなことなのかを知ったのです。わたしの考える全体最適など、所詮理屈が理屈としてとおる世界、道理が道理としてまかりとおり時代でしか成り立たないものなんですよね。
そんな温い価値観を振りかざし、真剣に生きる人たちの行動にいらだっていた自分の愚かさには腹立たしさ以上に憎しみすら覚えました。心の底から助走をつけた上で全力でグーで自分を殴りたいと思ったくらいです。


中島みゆきの歌で「ファイト」という歌があるのですが、その中で「戦う君の歌を 戦わない奴らが笑うだろう」という歌詞がありますが、まさにこの歌詞のとおりでして本気で戦う人を笑うのはいつも本気で戦っていない人です。自ら戦っている人は、戦う大変さや辛さを知っているので、例え他人が戦って惨めに敗れたとしても決してそれを笑ったり、敗れたことを憤ったりことはしません。
結果も大事だけど、戦い続けることが一番大事だということを知ってるからなのです。
この歌を聴いて強く共感を覚えていた高校時代。わたしは戦わずに笑うだけの人間には絶対なりたくないと思っていたのに、それから15年経った今は小賢しく立ち振る舞って戦う人を笑うようなバカになってしまいました。わたしはそんな自分の情けない姿を目の当たりにして本当に恥ずかしいと感じました。


戦争の悲惨さ、無益さ、不毛さ。
いろんなことがとても伝わってきたし、歴史にとても疎いわたしは戦争を題材にした映画にはさほど惹かれないのですが、この作品は他の作品とは別格といってもよいほど終始惹きつけられました。登場人部がいくつか入り組んで分かりにくいと感じる部分もありましたが、そういったことを差し引いても二度と戦争などしてはいけないということを強く感じる作品でした。
そしてこの作品を観たことで浮き彫りにされたわたしのもつ幼い人間性や考え方、平和ボケした価値観をこれから少しずつ変えていきたいと心から感じました。


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*1:わたしからみたらどっちでもいいような些末なことに見えました