「永遠の放課後」読んだよ

永遠の放課後 (集英社文庫)

永遠の放課後 (集英社文庫)

大学生の「ぼく」は、中学の頃から親友の恋人・紗英に想いを寄せていた。しかし、親友を傷つけたくなくて、気持ちを告げることができない。そんな中、プロの歌手だった父譲りの才能を買われ、活動休止中の人気バンドのボーカルにスカウトされる。そして、ライブに紗英を招待した夜、恋は思わぬ方向へと動き始めた―。友情と恋。「ぼく」が最後に選んだものは?文庫書き下ろし、胸を打つ青春小説。

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小学校・中学校の頃は、学校内やクラス内には歴然たるヒエラルキーが存在していて、人気者とそうでない者の間にはマリアナ海溝よりも深い溝があります。何をしても笑いを取れる人がいる一方で、何にもしてないのに疎まれたりする人もいるのです。
その両者の差が何に起因するのかなんてことはここではあえて触れませんが*1、間違いなく人気者ではなかったわたしにとってはそういった人気ある人というのはたとえ同じクラスにいたとしても遠い存在に感じられました。自分があんなふうになれるとは思っていなかったし、きっとこのお互いの力関係みたいなのは絶対的で覆ることはないんじゃないかと思っていたのです。


ところが義務教育を終えて互いが互いの人生を歩み始めてしばらくすると、このバランスが大きく変わっていることに気づくことがあります。例えばものすごく本が好きで頭が良かった人が大学を中退して地元のパチンコ屋に入り浸っていたり、スポーツ万能で運動関係は何をやらせても一番だったあの子が怪我でスポーツが出来なくなって地元でデブをやってたりなんてことを耳にするようになるのです。
逆に、ものすごく地味で目立たなかった子が海外留学をして現地で活躍してるなんて話もあったりして、ありきたりな言葉ではありますが、「人生って分からんもんだな」と思い知らされるのです。


本書は15歳を境にそれまでの関係が大きく変わってしまった3人の人生を描いた作品であり、読んでて「これはたしかにあるなー」という実感をつよく感じさせる作品でした。
中学を卒業して離れてしまった人たちと久しぶりに会ったときに感じる、「あれから遠くにきちゃったなー」というしみじみとした感傷をほじくり起こしてくれるすばらしい作品でした。自分では15歳という時から何も変わっていないつもりだし、そういう意味ではいまだに中学時代の放課後にいるような気分なわけですが、でも実際に変わってしまった同級生に会うと現実はそうじゃなくてちゃんと時間軸に沿って動き出しているんだぞと教えてくれるのです。
こういう作品をわたしみたいな30過ぎたおっさんが読むと、あまりに切なくていたたまれなくなるので要注意。

*1:正直にいうとわたしにはまったくわかりません