「(500)日のサマー」見たよ


トム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は建築家を夢見て、グリーティングカード会社で働く日々。ある日、秘書として入社してきたキュートなサマー(ズーイー・デシャネル)に一目惚れ。トムは運命の恋を夢見る草食系男子、しかしサマーは真実の愛なんて信じない女の子だった…。まったく正反対のふたりの 500日の恋を描いたラブストーリー。

『(500)日のサマー』作品情報 | cinemacafe.net


TOHOシネマズシャンテにて。


大学に入りたての頃、電車で3時間くらい離れたところに住んでいる人を好きになったことがあります。
舞い上がっていたわたしは、彼女に会うたびにあの手この手で連絡先を聞こうとしたり次に遊ぶ日取りを決めようとするのですが、「会えそうなときはこっちから連絡するから」と決して連絡先を教えてもらえませんでした。その後、何度か会ったあとにやっとPHSの番号を教えてもらうことが出来たのですが、その番号に電話しても10回に1回くらいしか出てもらえず、結局彼女が必要なときに連絡をくれるのを待つしかありませんでした。
こうやって当時のことを思い出しながら書いてみると、なんだかひどい扱いを受けていたなーと悲しくなるのですが、でも当時のわたしはこのような彼女の行動すべてに自分なりに適当な理由をあたえてはうまく自分を納得させていたわけです。

    • 彼女が連絡先を教えてくれない → 彼女は電話が嫌いなシャイな人
    • 電話しても出てくれない    → バイトとか講義が忙しいたぼうな人
    • 基本的に冷たい        → きっと恥ずかs(以下略)


誰かをものすごく好きになるということは本当におそろしいことで、どんな仕打ちをされてもそれを相手のよさにむすびつけてしまうのです。もう病気としか言いようがありません。


で、結局どうなったのかと言えば、大学2年になったくらいで全然連絡がとれなくなって終わりを迎えたわけですが、それはもう目もあてられないくらいに落ち込みまして、2週間くらい講義もアルバイトも行かずに自宅待機をして過ごしたのです。そうやってひきこもって何をしていたのかといえば、昔の思い出を反芻していました。
たのしかったことを思い出してはため息をつき、悲しかったことを思い出してはその切なさに胸を痛め、とにかく当時のいろんなことをあれこれ思い出しては現実と向き合う練習を繰り返していたのです。


本作「(500)日のサマー」がつむぐ物語は、失恋した後に過去の思い出を反芻して少しずつ傷を癒す男性の物語であり、↑で書いたようなわたしが振られてしまった過去と否応なく向き合わせられてしまうほろ苦い作品でした。時間軸がランダムに描かれていることを分かりにくいと評する感想をいくつか読みましたが、わたしはこういう取り留めのない時間軸の選び方こそ、失恋したときに過去を思い出す際に起こる現実をよく表していると感じました。時間軸とは無関係であることこそがこの作品いちばんのみりょくであるとわたしは思います。


それにしてもズーイー・デシャネル演じるサマーは本当にかわいくて、トムが本気で好きになってしまう気持ちはものすごくよくわかります。
たとえ「付き合う気はない」とか「愛なんて信じない」と言われたとしても、ひと目でほれ込んでしまった相手と手を繋いだりキスをしたりしているという現状をもって、サマーの発言/真意が決して大きな問題にはならないとトムが誤解してしまったのはもうしょうがないことだと思うのです。
それくらい"誰かを好きだという感情はそれ以外の感情を圧倒してしまうものだ"というわたしの仮説につよい説得力を与える作品でした。多くの男性の共感を呼べるのかどうかというのはわからないのですが、こっぴどく振られた経験のある人にはとてもたまらない作品だと思います。


それにしてもズーイー・デシャネルの魅力はとらえどころがなくて、いったいどこがよいのかうまく言葉に出来ないのが不思議でなりません。かわいいというのはもちろんあるのですが、わたしは彼女が歌っている姿を見ていると何ともいいようのないドキドキした気分を感じるのです。これは昨年「イエスマン」を見たときにも感じたのですが、彼女の歌っている姿、表情、声のトーンには他の人にはないなにかがあるとわたしは思うのです。


とにかく本当にすばらしい作品でした。
都内まで観に行くのは正直面倒だったのですが、思い切って観に行ってよかったです。


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