「真幸くあらば」見たよ


南木野淳は、遊ぶ金欲しさに空き巣に入った家で、居合わせたカップルを衝動的に殺害してしまう。一審で死刑を宣告された彼だったが、検察と争うことを是とせず、弁護士が提出した控訴を自ら取り下げ、そのまま死刑囚として投獄される。ある日、そんな彼に美しいクリスチャンの女性が面会に訪れる。川原薫と名乗るその女性は、淳が殺した男性の婚約者だった。淳が忍び込んだのは、薫とは別の女性と逢引をしている現場だったのだ。婚約者を殺害した憎むべき男であるとともに、婚約者の不実を暴き、それを裁いた男。薫は何故か、そんな両義的な存在である淳に惹かれはじめていく。そして、幼いときから愛を知らずに育った淳も、薫によって生きる喜びを知り、ひとを愛する喜びに目覚めてゆく。厳重な監視が付く面会室、アクリル板越しでしか会うことができない状況の中で、互いに求め合う二人は、薫が差し入れる聖書に小さな文字で書き込みをし、互いの思いを伝えあう「秘密の通信」を開始する――。

『真幸くあらば』作品情報 | cinemacafe.net

新宿バルト9にて。


「すごい作品を観てしまった...」というのが見終えての率直な感想でした。
鑑賞前にあらすじは読んでいたのでとても挑戦的な内容であることは観る前から覚悟していましたが、そのわたしの覚悟がいかに表層的なものだったのかを心の底から思い知らされました。
観る前に抱いていた期待のはるか斜め上をいく結末には唖然とさせられましたが、このくらい突き抜けた内容になると期待どおりの内容だとかそうではないということはもはや問題ではなく、鑑賞者がそれを受け止められるかどうかそれだけが問われているように感じました。以前「ラブファイト」という作品を観たときにも似たような感情をもったのですが、この作品の結末に触れたときに、理解しがたい他人の真剣な想いに触れたときに感じるえも言われぬ高揚感に包まれました。


惹かれてはいけない相手にズブズブとはまっていく泥沼感に満ちた前半と、もうオカルトの域に達したと言われてもやむを得ないくらい常軌を逸しながらも互いを求め合う後半が織り成すこの作品は本当に異様としか評しようがないのですが、わたしはこの作品を100%支持したいと思います。
公開劇場が多くないので、近くで観られる運の良い人はぜひ足を運んで観ることをお奨めします。超すごい作品!!


# 以下ネタバレ込みで続きます


この作品はどのジャンルに属することになるんだろう?と観終えてから考えていたのですが、基本的にはラブストーリーの類する作品かなという気がしています。死刑やそれを取り巻くさまざまな制度の実態を描いているために社会的なテーマを掲げているようにも見えたのですが、結局は恋が人を変えてその歩む道を変えた物語だと受け止めました。ここで出てきた死刑云々という話も、死刑制度の是非を扱った「休暇」のようにその是非を問うような内容ではなくて、あくまで二人の恋愛の障害となるスパイスの役割しか担っていないことに観ながら気付かされたのです。死姦したとかそういう禁忌とも言えることですら、すべては二人が愛し合うための障害としか使われていないということには本当に驚かされました
「乗り越えるべき障害が大きければ大きいほど、愛し合う二人は燃えるのだ」というのはラブストーリーの定説とも言えるものですが、そういう意味では服役している人を好きになってしまうという物理的な障害と、浮気をしていたとはいえ自分のフィアンセを殺した相手を好きになるという精神的な障害を一度に課せるこの設定の巧妙さには感心させられます。


ですが、一方で物理的な障害があまりに大きすぎるために、いったいどういう形でその障害を乗り越えるのか期待しながら見ていたのですが、まさか"二人で同じ日に月を観ながらお互いのことを考えて自慰をする"という方法で二人は結ばれることになるのです。結局二人は物理的に触れ合うことは出来なかったわけですが、心はよりつよく結ばれて互いに同じときに死を迎えるという形で想いは成就されます。聖書を介して手紙をやり取りし始めたあたりからこのラストにいたるシークエンスの狂気じみた様相は、これはオカルトだと切り捨ててもよいくらいの内容のはずなのですがどうもそう簡単には言い切れない何かを感じてしまうのです*1


ちなみに、タイトルの「真幸くあらば」(まさきくあらば)というのは、「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」という有間皇子万葉集で読んだ句から取った言葉だそうですが、旅の歌の定型句として使われる言葉で「無事に戻って来られることを願う」気持ちがこめられているようです。
この言葉は決して出所することが出来ない人を愛してしまった薫の気持ちをよく表しているように感じて、とてもグッときました。


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*1:何も「殯の森」以上に尾野さんの脱ぎっぷりがいいから褒めているわけではなくて、本当にそのくらい観るものを強引に惹き付ける魅力にあふれた作品だったと断言できます