「おと・な・り」見たよ


人気モデルの撮影に忙しい日々を送りながらも、本当は風景写真を撮りたいという思いを抱えるカメラマンの聡(岡田准一)と、フラワーデザイナーを目指して花屋でアルバイトしながら留学を控える七緒(麻生久美子)。同じアパートの隣同士である2人は、ともに30歳、恋人はなし。顔を合わせることは一度もないが、壁越しに聞こえてくる音は、いつしか互いにとって心地いい響きとなっていた。音を通して心を通わせるふたりの間には、恋が芽生え始める――。岡田准一麻生久美子で贈る、ちょっと切ない大人の恋愛ファンタジー

『おと・な・り』作品情報 | cinemacafe.net

[最初に]
感想の中で谷村だけ役名ではなく芸名での表記にしてありますがこれは彼女の役名が分からないのであえてそうしています。あとで役名が分かったタイミングで書き換える予定ですのでご了承ください。というか、彼女の役名を覚えている人がいたらぜひ教えてください。
2009/6/4 0:30
谷村の役名は茜だと教えていただきましたので本文を修正しました。



TOHOシネマズ宇都宮にて。
音でつながる人と人。顔を合わせたこともない隣人同士が互いの生活音に癒され、その音に惹かれあうというそのポイントだけでもかなり魅了されてしまいましたが、それ以上に、作品全体をとおして描かれる30代の男女それぞれの生き方についての描写の比重が大きかったので同世代あるわたしには非常に思うところが多くてとてもよかったです。映像も熊澤作品らしい見せ方や淡さが感じられたし、とても構成と映像のバランスがよい良質の映画でした。


他人が出す音というのは時にとても気になります。わたしは一緒にご飯を食べている人が咀嚼音のひどい人だとそれだけで食欲が失せますし、試験中に席が近い人の貧乏ゆすりがひどいとそれが気になってイライラしてしまいます。
このように不快に感じる音はさまざまでしょうが、でもその音が許せない理由について考えてみるとそれは聞いた人自身がもつ固有の波長(それが何の波長かは断言出来ませんが)と共鳴できない音だからではないかと思います。
例えば、適切な振動数で弦を揺らし続ければ定常的にきれいな波形を作りますが、振動が少しでもそれからずれると途端に波形は崩れてしまいます。この弦ように、誰もが自分の中に快適に過ごせるための固有の音というものをもっているのかも知れません。


音、特に生活音というのは誰もが意識せずに出しているものであり、だからこそ抑制することも変えることも容易には出来ません。
ある人が快適に感じられる音やリズムというものが、とてもピンポイントなものであってそうそうあるものではないと仮定してみると多くの他者が出す生活音が不愉快に感じられるのは当然ですし、近隣住民と騒音でトラブルになるケースが多い理由ことも至極当たり前に感じられるのです。
そしてこれは他人同士ではなく、恋人同士、夫婦であっても同じことが言えます。それまで仲がよかった二人が一緒に住んだことをきっかけに不仲になってしまうことは珍しい話ではありませんが、これもまた相手の出す音が合わなかったことに起因している場合は少なくないはずです。容姿や性格、収入を重視する人はいてもその人の出す生活音までは気にする人はいませんし、そもそも一緒に住んでみないと分からないから当然と言えば当然なんですけどね。


話が映画からそれてしまいましたが、相手の姿を見るよりも先にその生活音に惚れてしまうというこの作品の主張はとても共感出来るし、野島と七緒が毎日忙しく過ごしていく中で隣人の生活音に惹かれあう様子がとても自然で理想的でグッときました。


そんなわけで冒頭と最後はおおよそ想像していたとおりの作品でしたが、中盤の展開、具体的には茜が出てくるあたりからがそうなのですが、30代になりたてという年齢の微妙さがとても伝わってきてものすごく釘付けになってしまいました。30歳という年齢だけが一人歩きしているような実感を伴わない周囲の見る目や自身の変化に身につまされてしまいとても他人事とは思えず観ながら固まってしまいました。恋愛ファンタジーと謳っていたこの作品に、これほど強烈なリアリティがあるとはとても予想していなかったなあ....。


空想と現実が絶妙に織り交ぜられたすばらしい作品でした。久々にすごくよい邦画を観ました。


公式サイトはこちら


[追記]

作品の内容に触れる部分についても書きたくなったので「続きを読む」に隠しておきます。




この作品はものすごく印象的なシーンが多くて、例えば茜が橋の上で写真を撮ってもらうシーンや、七緒が部屋を引き払う時に「ありがとうございました」と言ってペコリと頭を下げるシーンがとても好きです。あとは七緒がコーヒーを飲む前に取っ手を時計回りにクルクル回す仕草もすごく好き。


そんな中で一番記憶に残っているシーンと言えば、ダントツで野島が七緒の実家に電話するシーンです。
元々仲がよかったわけでもない二人が何十年ぶりに電話で話すというあのぎこちなさがとてもよかったし、特にその時に使っている電話が家電だというのもとてもグッときました。携帯電話が当たり前の世代には理解されにくいかも知れませんが、家族がいるそばで誰かと話さないといけないというあの不便さと、そばで聞かれているためにちょっと無愛想になってしまうきまずさみたいなのがすごく感じられるシーンでした。あのシーンを思い出すだけでちょっとドキドキしてしまいます。


それと作品の構成がとても巧妙というか緻密なのもすごくよかったです。
野島と七緒が実は同級生だったというのもわたしにとってはかなりのサプライズでしたが、振り返って考えてみると七緒が鼻歌で謳ってた曲を中学生の頃に合唱で謳ったことがあるというクダリはヒントだったんだなーと感心してしまうのです。
それ以外にも野島が付き合っていた彼女が誰なのかということも作中でこっそり知らされたりして、こういう明確には描かれないけれど前後関係や文脈を読み取ればいろいろなことが見えてくる作品というのは観ている時もあとで思い返したときも楽しくていいです。
作品のテーマそのものもすごくよかったのですが、こういった細部にまで配慮された構成というのもこの作品の魅力だと感じました。


あまりに素晴らしすぎて二回目は絶対に観たくない作品です。