私はもしかしたら立ち合わせるかも知れない

曾祖母の納骨に子どもを立ち合わせることの是非について、増田で話題になっていました。

少し前に曾祖母が亡くなった。享年102歳。俺を含む親類縁者に見守られ、自宅の寝室で眠るように逝った。今時珍しい大往生だったと言えるだろう。通夜、葬儀と滞りなく終わったが、問題はその後だった。火葬場での出来事だ。

祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。

こりゃPTSDになったかもなあ

はてブでは否定的なコメントが多いように見られたのですが、たぶん元の文章が「幼い子どもは絶対納骨には参加させてはいけない」と断定的に書いたことに対して反発をおぼえた人が多いのではないかと思います。わたしも頭ごなしにそう判断することは望ましくないと考えたし、ましてPTSDになるとまで書かれると「それはないわー」と突っ込みたくなるわけで、内容ではなく書き方に対する抵抗なのかなと感じました。
ただし、率直に言うと実際どうすべきだったのかというのは外野言っていることよりも増田の判断の方が正しいのではないかとも思うのです。理由はその環境、その場を知っているのは増田だけだからです。
その場に連れて行くべきかどうか、それは「子どもと曾祖母の関係」によっても変わってきますし、「子どもの発達具合」にもよると思います。もっと言えば「子どものその日の体調」にもよるでしょう。とにかくいろんな環境/状況を見た上でなければ判断出来ないことだと思います。


例えば。私の祖母はまだ顕在ですが、もし今すぐ祖母が亡くなったとしたら私は上の子にも納骨には参加させません。祖母と長女の関係を考えれば本当は参加させたいと思うのですが、一方でまだそれと向き合うだけの胆力が備わっているように見えず、今は無理だよなと思うのです。
でも子どもが小学生くらいになって死と向き合える土壌が出来ていると感じられたら参加させようとも思います。


ひとつ私が思うのは、死を何かの情操教育の場と考えるのは間違っているんじゃないかと言うことです。
わざわざ近親者の死を突き付けるまでもなく、死に向き合わないといけない日は訪れます。
だから、私が上記のように考える理由は、単純に最後のお別れをさせてあげたいというその気持ちからです。情操教育に近親者の死を利用するのは正直えぐ過ぎるんじゃないかなあ...。


とりあえずみんな「夏の庭」を読んで落ち着くといいと思うよ!!

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

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