「いただきます」を忘れた日本人

「いただきます」を言う理由、ビュッフェレストランは食べ放題ではない、店の行列に並ぶのは15分まで…。食の安全を企業に求める前に、自分の生活を見直してみよう。毎日の食事、買い物、外食、グルメ情報、テーブルマナー。誰も教えてくれなかった、大人の「食の品性」を身につけるための本。

http://www.amazon.jp/dp/4048672878

生きる上では決して欠かせない行為でありながら、あまりに日常的過ぎてそのありがたみが軽視されている感のある「食べる」という行為や食べる前の掛け声である「いただきます」という言葉について、改めてその行為を見つめなおして本来はどのような意味があって出来た言葉なのかということについて書かれた非常におもしろい一冊でした。
とは言え、いくらこの本に載っている内容がすべてが正しいからと言って、それを妄信しようぜとかすぐに実践しようぜという話ではありません。時代が変われば人々の意識は変わりますし、その変化に伴って大勢の中で共有されるマナーも変わってきます。また場所によってマナーというのは変わりますから誰もが同じ思想やマナーを身につけるということは土台無理なわけです。


ですので、本書を読んで「本来はこうだった」とか「こうあるべきだったのだ」ということをひとまず理解し、そして自分自身がそれを受け入れた上でそれを元に自分はどうしたらよいのかを考えるのが本書のよい活用例だと思います。


さて。いろいろと面白いと思う部分はありましたが、その中でもわたしが一番共感出来たのは、以下の部分です。

 けれど素人・玄人にかかわらず、上からの目線で、店の欠点に終始する評価を見ることがあって、心が痛みます。
 レストランを評価するのなら、謙虚さとたしなみが必要だと思うのです。
 私もレストランの感想を書くことがありますが、できるだけ、おいしかったことや感動したことなど、店のよい面を主体に書くと決めています。店への要望があるにしても、基本は肯定的に。逆にいえば、いっさい肯定できないと思ったら、その店のことは書きません。


135ページより抜粋


こう書くと「消費者は批判はするなということか」と騒ぐ人が出てきそうですが、決してそうではありません。例えば、著者の方もお店に対して一言言いたいことがあれば積極的に伝えていると書いていますし、ゲームや映画の出来があまりにひどくてネットで祭騒ぎに発展した時に沸いて出てくる批判の嵐は、これ以上被害を拡大させためのアラートとして多くの人の役に立ちますので非常に有用なものです。
ここで大事なのは批判を「書く」とか「書かない」という行為そのものだけではその良し悪しは判断出来ないということです。そしてその批判がいい批判かどうかという判断基準は、表明された批判を見た誰かがその批判に対して「感謝」出来たのかどうかということにあるのだと私は考えます*1
もちろん書きたい事を書くのも自由なのでしょうが、書いた人が負える責任の範囲を超えた批判は自重すべきだと思います。


本書は食についての話が中心なのですが、話題が基本的な欲求に対するものであるためか意外にも現代の日本人の考え方や行動に対する問題提起としてもとらえることが出来ます。「こだわり」と「わがまま」を履き違えた人が多いという指摘などまさにその際たるものですが、なかなか鋭いと感じさせられる一冊でした。

*1:ちなみにこの基準はあくまで私の感覚であり、本書では「批判に対して相手が反論できる下地があるかどうか」がよい批判かどうかの判断基準になっています