永遠のこどもたち


海辺にある孤児院で、仲の良い友達と幸せな子供時代を過ごしたラウラ(ベレン・ルエダ)。あれから30年、ラウラは夫の医師・カルロス(フェルナンド・カヨ)と7歳の息子・シモン(ロジェール・プリンセプ)と共に、長い間閉鎖されていた懐かしい孤児院を、障害を持つ子供たちのための施設として再建したいという夢のために、買い取り移り住んでいた。シモンは、その神秘的な館の中で創造力を膨らませ、独自の空想の世界を楽しんでいた。だが、施設の開園を間近に控えたある日、入園希望者を集めたパーティの間に、シモンが忽然と姿を消してしまう…。シモンを探すうちに、ラウラはこの館に潜む目に見えない何かを感じ始める――。古い館で展開される事件と、母親の我が子に対する深い愛のドラマが交錯する感動作。ゴヤ賞にて14部門にノミネートされ、スペインで記録的大ヒットを樹立。

『永遠のこどもたち』作品情報 | cinemacafe.net

ヒューマントラストシネマ渋谷にて。ギレルモ・デル・トロ作品。
孤児院を舞台にしたミステリー作品なのですが、予想外に怖いシーンが多くてビクビクしながら鑑賞しました。何度か驚いた拍子に後ろに仰け反ってしまい、後ろの人にビビッているのがばれるという恥ずかしい目にあってしまいました。いやーまいったまいった。
ある日忽然と消えてしまった子ども(シモン)を探しまわるという息苦しさを感じずにはいられない展開と、その失踪に関与していると思われる非科学的なある存在が怖すぎて目が離せませんでした。警察が半年以上も探し回っても見つけられなかったシモンは一体どこにいってしまったのか。この非科学的な存在の正体は何なのか。それらがすべて明らかになるラストを含めて非常に濃厚な2時間を味わうことができました。とてもおもしろかったです。


そうそう。観終わってから気付いたことがあったのでひとつだけ。
この作品もそうなのですが*1、最近、「意外性のある結末」を売り文句にしている作品が多いです。わたしはこの宣伝の仕方があまり好きではなくてぜひ止めて欲しいと思っているのですが、どうもそう感じているのは少数派なのかそんな宣伝は減る気配がありません。
この方法で宣伝すれば、そうしなかった場合に比べて入場者数が増えているのかどうかは定かではありませんが、確実に言えるのは観た後の満足度を下げているということです。その意味ではこれ以上ないほど不快な宣伝の仕方だと感じています。とりあえず多くの人の記憶に印象として残ることを優先しているのかも知れませんが、こんな方法でこの作品を観に来た人は絶対にリピーターにはなりえないです。JAROも真っ青の誇大広告なわけですからこれでリピータになる人の方がよほどどうかしています。


つうか、この宣伝の仕方ってそもそも作品のオチを先に言っているのに等しい行為なのですから最低の宣伝と言わざるを得ません。


とは言え、なぜここまでこの宣伝が嫌なのか。じっくりと考えてみました。
その理由について具体的に述べると、意外性を売りにしてしまった時点で意外であること自体は作品の評価対象項目ではなくなってしまっているのもかなりむかつきます。意外性の有無が評価対象ではなくなった代わりに、今度はその意外性の程度が評価の対象となります。つまり意外であることは作品のひとつのスパイスですから当然加点対象になるべきことなのに、それを前面に押し出してしまうと意外であることは当然のこととなってしまい、今度は意外性の度合いが加点/減点対象になるのです。


さらに、意外性を売りにされると人間というのはだまされたくないという心理状況になるようでして、伏線でもない映像に対しても邪推をしながら鑑賞することになります。そうすると結末を意外に感じるというハードルは一気に高くなりますし、この一度上がったハードルは以降二度と下がることはないのです。


以前、お笑い芸人のゆってぃが後輩と合コンにいった時に、後輩が「お前らゆってぃさんはマジですげー面白い人なんだよ。ゆってぃさん、こいつらのこと笑わしてやってくださいよ!!」という無茶振りをされたという話を聞いて全身の震えが止まりませんでした。
その後輩に悪気があったかどうかは分かりませんが、こんな前振りされたあとに話をふられて面白いこと言えるのは高田純次くらいだと思います。振られた方にしてみたら耐え難いほどの罰ゲームです。その後の展開は容易に想像出来るわけで、こういうのは本当に止めていただきたいと切に願います。


こういう無駄にハードルをあげているのも不快感を感じる一因です。


このような宣伝文句の被害作品としてまっさきに思い出すのは、昨年の話になってしまいますが「アフタースクール」がまさにその作品と言えます。
アフタースクールは非常にすばらしい作品でして私はとても大好きな作品なのですが、公開前から過剰に結末の意外性を売りにしてしまったばかりに「あまり意外じゃない」とか「意外でした」とか「途中で結末読めた」など論点が結末ばかりにクローズアップされた感想しか聞こえてきませんでした。
あれだけ緻密にストーリーが積み上げられているところや、それを十二分に活かしていた映像表現のうまさ、そして俳優/女優の方々の魅力すべてがそろってこそこのすばらしい作品となっているのに、結末でだまされたと思ったのかどうかそれだけが作品の話題として上がることになるのです。何ていうかものすごくもったいない。
炊きたての新米に味噌汁をぶっかけて食べるようなもったいない真似はぜひ止めていただきたいです。


ちなみに、結末の意外性を売りにしている文句の中で、唯一許せそうなのはミラーズの「予測的中率0%」。
理由というほどのものはないけれど、0%というのはもはや論理的に破綻していると自白しているのと同じなわけで、それでもその作品を観たいかどうかという判断材料に使えるからです。的中率1%って言われると「よーし俺も1%になれるように頑張るぜ!!」と思えますが、0%って言われるとそもそも的中させようという気にもすらないから安心して見られる気がします。


話がものすごくそれてしまいましたが、この作品はそんな疫病神みたいな売り文句に負けないほどすばらしい作品でした。


公式サイトはこちら

*1:この作品の場合は「シックス・センス以来の衝撃」という遠まわしな表現を使っていますが