イントゥ・ザ・ワイルド


1992年4月、一人の青年がアラスカ山脈の北麓、住む者のいない荒野へ歩いて分け入っていった。4か月後、ハンターたちによって、彼はうち捨てられたバスの車体の中で、寝袋にくるまり餓死している状態で発見される。青年の名はクリス・マッカンドレス(エミール・ハーシュ)。ヴァージニアの裕福な家庭に育ち、2年前に大学を優秀な成績で卒業したばかりの若者だった。全財産を捨て、労働とヒッチハイクを繰り返しながら、アラスカへと旅立ったクリス。なぜ彼は、恵まれた環境にいながら、悲惨な最期を遂げたのか…? ジョン・クラカワー原作のベストセラーを、ショーン・ペンが映画化。

『イントゥ・ザ・ワイルド』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。
二年にわたって放浪を続けた一人の青年のロードムービー。ネタバレというほどではないのですが全体を総括した上での感想となるので、ストーリーなどあまり詳しく知りたくない人は先に一度観ちゃってください。


この作品を観終わったときにわたしが感じたのは、結果はどうであれ自分が生きたいように生きた結果なのだからよかったじゃないかという気持ちでした。たとえ最期があれほど悲しいものであったとしても、それが本人の描いたライフプランの結末だったのであれば、それはいいことだとさえ思っていました。
ところが、自宅に戻って寝ようかと布団に入った後にどうしてもこの作品の結末があれでよかったのかということが頭から離れずしばらく眠れずに考え込んでしまいました。
彼が旅を続けた2年間。彼にとっては、多くの人とふれあい、多くの人に支えられ、そしてその多くの人たちに求められながら生きた2年間でした。ある時は農場で住み込みで働いてそこの人たちと寝食を共にしたり、ある時は過去にヒッチハイクで拾ってくれた人たちのいるスラブシティに世話になった上にそこで出会った女の子に好かれたり、さらにはある土地で出会った老人から革製品を作る技術を教えてもらううちに気に入られて養子にならないかという誘いを受けたりと、さまざまな出会いや別れを繰り返しては出会った人たちから信頼を得て、求められるような存在に昇華してきたのです。
この一連の流れを観ながら、わたしはこれをロードムービーの醍醐味としか捕らえていませんでした。さまざまな場所に行ってその土地の人と交流することこそロードムービーの楽しみだと思い込んでいたのですが、でもいろいろと考えているうちに果たして本当にそうなのか?という疑問がわいてきました。


わたしが感じたもっとも大きな疑問はロードムービーの結末としてその人が死んでしまうことの是非です。もちろんロードムービーの結末なんておまけみたいなものかも知れませんが、わたしにとっては過程を楽しむロードムービーだからこそ、映画が終わってもその人の人生が続いていく描写が欲しいと思うのです。つまり、この旅の結末が救いようのない死である事にとても不満を感じていたのです。
なぜあれだけ楽しい道中を描いておきながら彼はあんな末路をたどることになったのか、なぜあれだけ多くの人に愛された彼が死ななければならなかったのか。わたしはクリスに死んで欲しくなかったし、改めて思い返してみると、この作品にはクリスには死なずにいて欲しかった人ばかりが出てきていることに気付きました。両親や妹はもちろん、道中で出会った人たちすべてが彼と一緒にいたいと願っていた一方で、クリスは自分ひとりで生きていくことを望んでいきました。


当初この作品に対する印象は「自分探しの末路」を描きたいのかと思っていました。と言っても言葉ほど悲観的なものではなくて、自分探しもやりすぎいるとこうなることもあるよ、という自分探し批判を暗にしているものだという印象を受けていました。
ただ、こうやって改めて自分の受けた印象を整理して作品を思い返しみるとそれは違うなと感じるのですがどう違うのかがいまだうまく整理できていません。ただ、この2年間で彼は両親の不仲に端を発した人間不信を解消するきっかけを作れただろうし、そこを彼自身がしっかりと消化できていたら彼の末路は決してこのようなものではなかったんじゃないかという気がしています。
そんなことを考えてあのラストを思い出したら何だかすごく悔しくて泣きたくなりました。彼に生きて帰ってきて欲しかった人たちの気持ちの大きさと、未成熟というべきかそれともある種達観していたというべきか分かりませんが、徹底して他人に対して無関心を貫いたクリスの一徹さ。何かが間違っていたわけでは無いのにこうなってしまったそのめぐり合わせの悪さに深く絶望してしまいました。


いろいろとグダグダ書きましたが、150分という尺を感じさせないほどみっしりと中身の詰まった良質の作品でした。
本当にすごくよかったです。


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