後悔せずにはいられない

上野駅前の老舗レストラン「聚楽台(じゅらくだい)」が21日で閉店する。店を構えて半世紀。昭和の名残を今に残すレトロな大看板も、風雨にさらされ、塗装がすっかりはげ落ちた。建物の老朽化で“上野の顔”としての役目を終える。「古き良き昭和がまたひとつ姿を消す」と、常連客からは閉店を惜しむ声があがった。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080421/trd0804211125026-n1.htm

先日上野動物園に行こうと決めたとき。その日のお昼は絶対にこのお店で食べようと心に決めていました。
実を言うと幼い頃から私はこのお店に行ってみたいと思っていたのです。
ここで食事が出来たら20年以上に渡る私の夢が叶うのだ。そう思うとその嬉しさにみぞおちのあたりがぶるぶると震えてくるようなそんな気分で満たされました。


思い返せばこのお店を初めて見たのは私が7歳の頃でした。
家族旅行なのかそれとも何か用事があったのかは覚えていないけれど、一家そろって夜行に乗って東京に行った時の思い出だということだけはとてもよく覚えています。
当時は秋田新幹線などありませんから夜行で上野へと向かいました。とは言っても秋田から東京への直通ではなく、一度盛岡へ急行だか特急だかで出てそこから夜行に乗りました。夜の盛岡駅がとても薄暗くて怖くて、絶対に祖母の手を離さないように離さないようにと心の中で繰り返していたことを思い出します。
盛岡から上野までの道中はほとんど覚えていませんが、夏休み終わり間近だったためか車内は異常に混んでいたのは強く印象に残っています。座席は当の昔に埋まっていて、やむを得ず通路に敷物を敷いて母と祖母と私と弟は座ることにしました*1。7歳の子どもと5歳の子どもにとってこの夜の長距離移動はとても辛かったはずなのですが、でも当時の記憶を探ってみても格段つらかったという記憶はなくて、お尻が痛かったとかトイレが混んでて大変だったとかそのくらいの思い出しかありません。きっとこの非日常感が楽しかったのだと思います。


さて。
どこまで行った時か分からないのですが、近くにいた大学生の人たちが見かねて席を譲ってくれたらしく私たち一家は座れる事になりました。どうやら「私たちはもうすぐ降りるから」と言って席を譲ってくれたらしいのですが、でもそんな譲ってくれた理由なんてどうでもよくて、とにかく家族4人で座れるということが嬉しくて嬉しくて席に飛び乗りました。やっと座った座席は通路とは段違いの心地よさで、その快適さからあっという間に眠ってしまいました。その後、上野に着くまでの記憶はまったくありません。


早朝。上野駅に到着すると母と祖母に起こされました。
座席で眠ったためかとてもすっきりとした私は飛び起き、荷物をもってホームへと降りたったのです。


ホームは早朝とは思えないほど、そしてまともに歩けないほど多くの人でごった返していました。やっと階段に辿り着き、既に階段を上っている人たちの中に目をやると、席を譲ってくれた人たちの姿がそこにありました。すぐに降りると言ってたのになと、ふしぎに思ったのですがその時は理由までには思いが至りませんでした。ただ、何となく知っている人がそこにいることが嬉しかった気がします。


その後。どこに行ったのかは記憶にありませんが、帰る前に上野動物園に連れて行ってもらえることになったのです。
私も弟も、うれしくてうれしくて興奮しながら動物園にむかったのですが、何とその日は月曜日で動物園は休園日。そこに行くまでの喜びが今度は悲しみに変わったわけですからそれはもう大騒ぎ。大泣きする弟を連れて帰途に着きました。


その帰りの電車に乗る直前。ふと目に入ったのが秋田では見たこともないような外装の建物でして、それが聚楽台だったのです。
見慣れないものばかりの東京でしたが、その中でもこの聚楽台は特に記憶に残ったのです。東京に去りがたさを感じていた私は、いつかまた東京に行ったらあそこに行ってみたいと思うようになったのです。


だいぶ話がずれたけど、こんなにも前から行きたいと願っていた聚楽台に今度こそ行こうと決心しました。上野動物園にハホ*2と行った時にぜひ行こうとかたく心に誓ったのです。


当日。
動物園をお昼過ぎに周り終わり、じゃあ聚楽台に行こうとハホとお店に向かいました。
お店はすぐに見つかったので外の展示メニューをながめて互いに好きなものを選び、そして店内へと足を踏み出しました。
一歩店内に入り、私が目にしたのは信じられないくらいの長蛇の列。一番後ろの人がどこなのか分からないくらいの長い列なのです。
あまりの混み具合に驚き、お店の人に「どのくらいで食べられますか?」と聞いてみると一時間は見て欲しいとのこと。一人なら待てるけど、お腹が空いて空いて今すぐ食べたいと言っているハホが一時間も待てるかどうか正直不安でしょうがありません。


今回こそは...という思いもあったのでどうしても聚楽台で食べたかったのですが、でもハホはきっと一時間も待てないだろうと判断して、今回は諦めて他の場所で食べることにしました。


きっとまた来れるよ。今度は映画を観に来たときに一人で食べに来ようなどと自分に言い訳をし、そしてお店を後にして帰途に着きました。


そして今日。このニュースを見て非常に後悔をしました。
あの時、ハホに先に何か食べさせてからでもいいから、待って食べるべきだったんじゃないかと。
そしてこの取り返しのつかない経験をとおして、「いつでも出来る」は「いつまでもやらない」と同義なんだなといまさら気付きました。
後悔先たたずとはよくいったものです。

*1:父は東京で働いていたのでこの場にはいなかった

*2:長女