高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)


大学院の博士課程を修了したにも関わらず、それを活かせる仕事が少ないためにポスドクや非常勤講師、場合によってはフリーターにならざるを得ない現状への問題提起、そしてなぜこのような状況が生まれたのか、という点についての考察が非常に面白い一冊でした。


まず筆者が問題点としているのは

    1. 大学院への門戸を積極的に開いたけれど、研究職が増えなかった
    2. そもそも積極的に大学院への誘致をしたくせに就職などの面倒をみなかった
    3. 既得権者が強過ぎて、若い人に与えられるチャンスが少な過ぎる


点です。一行でまとめると、「大学院生を増やして授業料やら入学金やらをたくさんせしめたくせに、その結果生まれる博士号取得者の就職先などは何も増やさず、挙句老害がのさばっているせいで職にあぶれる奴が増えすぎて困ってんだよ、バカチン」ということです。
# まとめベタですいません


ところで。突然話が変わりますが聞いてください。


私が幼かった頃(例えば25年ほど前であれば)、博士号を持ってる人なんて見たことがなかったし、そもそもうちの近所では大学に進んでいる人だってほとんど居ませんでした。ですから今はもう死語のようになってしまいましたが、「末は博士か大臣か」みたいな高学歴者への畏怖の念みたいなのはかなり強く根付いていました。ま、田舎だったというのもあるかと思います。そんなわけで、博士なんてのはもう想像も出来ない雲の上の人みたいなもんでして、見たことの無い生き物という意味ではツチノコと何ら変わらない存在だったわけです。ちょっと言い過ぎな感はありますが、それくらい稀有な存在だったわけです。
ところが、時代はどんどん変わり、今では私のような普通の人間も大学へ進んでさらに大学院で好きな学問を学ばせてもらえると言う非常に恵まれた環境になったわけです。改めて考えるとこれは非常に素晴らしい事なんじゃないかと思うわけです。


今後、大学院が研究者養成機関としてだけではなく、門戸の開かれた学問を深く学ぶ場、すなわち以前大学が担っていた役割を担うのは間違いないと思います。
今のこの時代だからこそ大学院にまで行けたのだと思いますし、逆に言えば、20年前に生まれていたとして私の学力・能力では大学院になんて行けなかったような気がします。いや、そもそも大学にすら行けたかどうか分かりません。それを考えると、こんないい時代に生まれてよかったなとつくづく感じます。

平成万歳!! Hey!Say!JUMP