幸福な食卓

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日曜日の夜に見てきました。ミスチルが主題歌を歌うとなれば見に行かないわけには行きません。


ここから抜粋

3年前、父が自殺未遂をしてから家族は変わった。母は家を出て、成績優秀だった兄は大学進学を拒否し、農業に従事していた。

新学期が始まり、佐和子は転校生、大浦と親しくなる。志望校を目指すため、佐和子と友達になりたいと言う大浦。変わり者だが明るく男らしい大浦に影響を受け、佐和子も夏休みに予備校に通う。父は仕事を辞めて、大学に行くと言い出す。それぞれの道を歩き始め、家族は少しずつ形を変えていく。


淡々と進んでいく物語がありきたりの日常をうまく表現し、平凡な家庭の日々がずれていく様に思わず見入ってしまいました。


佐和子(北乃きい)の父(羽場裕一)が悩んでいたように、自分の思い描くこれからと現実のこれからがどんどんかけ離れ、そして修復できなくなってしまうというのは私も経験があります。自分自身に過剰に期待してしまった時期があり、そのギャップに疲れてしまったのだと思います。小さなずれが溜まりに溜まって結局そのずれを直すことは出来ませんでした。そもそも理想どおりに生きること自体、無理があるんだと気付くまでには多くの時間と悩む過程が必要でした。
あの頃は何でも真面目にやりすぎてたなと、今ではそう思いますが若い頃なんてのは案外そんなもんだと過去の自分を正当化しています(笑)


あとは大浦(勝地涼)が居なくなってからの佐和子の行動パターンが妙にリアルで感心しました。
いつもそこにあると思っていたものが失われる辛さは他のものと比べようがなく、経験して初めてその痛みを知ることが出来ます。幼い頃、祖父を亡くしたのが喪失感初体験でしたが、やはり現実味がなくしばらくは泣くに泣けなかったのは強く覚えています。テレビで見るお葬式では、皆が泣き喚き故人を思い偲び過ごすようなイメージだったので、涙が出ないこと自体がとても意外というか不思議でした。でも、お葬式や火葬の時に家族が冷静だというのは案外リアルな話なんですよね。
日常に戻ったときに辛くなって家族にあたってしまったり、自暴自棄になってしまったりというのはとても共感できるシーンでした。あのあたりのシーンは見ていて胸がつまされるようで、見てられなかったです。でもそういうその場面ごとに佐和子の心の機微が伝わってくるのは心地よいのです。


とはいえ、ストーリーそのものは悪く言うとありきたりなものでしたし、山場らしい山場も少なかったために「すごい面白い!!」と声高に叫ぶほどではなかったです。ただ、北乃きいさんや勝地涼さんのピュアなキャラクターや作品そのもののもつ淡い空気はとても好きな作品でした。ぜひもう一度見に行きたいです。


あとはくるみがアコースティックバージョンだったのは残念でした。いい曲なのはガチンコですが、普通のバージョンの方が良かったな...。